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いつもと違った視点を発見!
透明なこころでモノゴトを眺めると何が見えてくるか、お楽しみに。
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■臓器移植から再生医療へ 【2002年6月15日】
ひところ、臓器移植の是非について日本でも議論が高まったことがありましたが、白熱した議論の割りには、実施例があまりないのが現状です。
実施例はニュースに扱われるほどですから、臓器移植は日本人の生命観にそぐわないと大多数が感じているとみてよいと思います。
そのうち、遺伝子医療や、再生医療分野の成果報道が増えるにつれ、関心は明らかに臓器移植から再生医療に移ってきているのがわかります。
やはり、他人の臓器をもらい、部品のように取り替えて自分の生命を延長するという考え方そのものに、釈然としないものを感じる人が多いということだと思います。
しかも、新鮮な臓器を得るために、脳死問題が浮上してきました。しかし、この脳死判定というのは、要は新鮮な臓器を得るために死の定義を早めようというのが趣旨です。臓器移植推進派の人々がどのように釈明しようと、人間の死を自分たちの都合で解釈しようとしていることに変わりはないのです。どうも、一般人の方が、直感的にそれを見抜いているように感じます。
最近、国会議員で生体肝移植をされた親子の例が出ていました。こういった、肉親の情の発露として、お互いに納得して行うものは、それなりの献身として語られるべきものであるので、世間からは非難の声ひとつ上がりません。
そういった意味でも、日本人の生命観はまだまだ揺らいでいないように思います。古来、日本人も肉体に宿る魂を信じてきました。亡くなった後も、すぐに火葬や土葬にはせず、必ず1日相当の時間を置く。それは、肉体に宿っていた魂が死を自覚して抜け出るまでの時間だといわれます。そういうことが、当然のこととして受け継がれてきています。
これは、日本だけではなく、各民族ごとに埋葬などに一定時間を置くのは、古来の知恵が受け継がれてきているからだと思います。
ところが、肉体的な視覚に映らないという単純な理由で、魂や霊魂はないと言ったり、魂や霊魂を口にするのは未開民族のアニミズムのレベルだと誤解したり、遅れているかのように勘違いする例が多いようです。
臓器移植反対派の意見で一番説得力があったのは、ある産婦人科医の言葉でした。正確には覚えていませんが、
母親に宿った胎児の心臓が脈拍を打ち始める瞬間がある。それがいつ始まるのか、医者がコントロールできるものではない。が、ある時期がくると、胎児の心臓が鼓動を打ち始める。それは、神秘そのものだ。心臓の鼓動の始まりをコントロールできないのに、その心臓の終わりを人間の手でどうこうできないのではないか。できると考えるのは、人間の傲慢ではないか。
おおよそ、こんな趣旨だったように記憶しています。
こうした臓器移植にくらべ、細胞の培養を主にした再生医療は、期待が持てます。これから20〜30年後には、かなりの病気や怪我を克服できるようになっていることを期待したいものです。 <Rei>
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