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人前で話す人の教養のタネ ひとくち漢文
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いつもと違った視点を発見! 

透明なこころでモノゴトを眺めると何が見えてくるか、お楽しみに。

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■黄砂から見えるもの(1)  
 【2004年4月18日】
 ロマンチックを越える「黄砂」 / 日本のハゲ山

今回は、春先恒例の「黄砂」を取り巻く、地球環境の話です。

出張した北九州で、実際に空を赤茶に染めたスゴイ黄砂を見て以来、日本の南西部の方が黄砂も「濃い」んじゃないか、と思うのですが、どうでしょうね?

さて、どんな話になりますか、おつきあいくださいませ。



ロマンチックを越える「黄砂」

ご存知でしょうが、ちょっとおさらいを。

あの「黄砂」は、ユーラシア大陸中央部に拡がる乾燥地帯、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠などや黄土地帯で強風に大量の砂塵が吹き上げられて、上空の偏西風に乗って中国、韓国、日本などの地域に降下するものです。

気象庁の「黄砂」予報ページが出ています。


毎年2、3、4、5月頃に多く、季節の風物詩とも、俳句の季語にもなっています。

遥かタクラマカン砂漠から舞い上がった砂粒かぁ..と、日本人が詩情をかき立てられるのは、空一面をうす赤く染めるだけで、個人的な実害をほとんど感じないからでしょうね。

気になる2004年の黄砂量ですが、予報では、

奥地の砂漠地帯になんと積雪!があったとのことで、舞い上がる黄砂は例年より少ないだろうと言われています。

ところが、筆者が北九州に出張したときのこと、

赤茶のさび色に空一面が染まったのを目にして、ようやく、黄砂にも濃淡があり、日本の南西地域ではけっこう洗濯物に気を使ったりする悩ましい環境問題でもあるぞ、と実感しました。

この黄砂ですが、中国奥地から → 中国の北京地域や → 中国北東部まで降りますから、彼らもけっこう毎年迷惑しているわけです。

そんな土地柄を、中国人が戯言歌にしたものがある、とフリーライターのふるまいよしこ氏が(JMM [Japan Mail Media] 2004年4月1日No.264 )で紹介しています。

中国の人々が周辺民族をどう捕らえているのかまでわかってしまう、典型的な中華思想に根ざした歌ですが、その中でも、黄砂が筆頭に出てきます。

ちょっと長いですが、ご紹介しましょう。

「北京人が風と砂ぼこりの多さを誇れば、内蒙古人が笑う。
 内蒙古人が面積の広さを誇れば、新彊人が笑う。
 新彊人が民族の多さを誇れば、雲南人が笑う。
 雲南人が標高の高さを誇れば、チベット人が笑う。
 チベット人が文化財の多さを誇れば、陝西人が笑う。
 陝西人が革命の早さを誇れば、江西人が笑う。
 江西人が辛いもの好きを誇れば、湖南人が笑う。
 湖南人が美人の多さを誇れば、四川人が笑う。
 四川人が胆っ玉の大きさを誇れば、東北人が笑う。
 東北人がまっすぐな性格を誇れば、山東人が笑う。
 山東人が経済の良さを誇れば、上海人が笑う。
 上海人が出稼ぎ農民の多さを誇れば、広東人が笑う。
 広東人が成金の多さを誇れば、香港人が笑う。
 香港人が妾の多さを誇れば、台湾人が笑う。
 台湾人が独立したいと言えば、中国人民がみな笑う」

まあ、恐れ入りますね、内容は。で、この黄砂のために北京を遷都する話も政府高官からチラリと出ています。

黄砂自体は増加する悪循環となっていて、地球環境問題の見地からも専門家が取り組む課題となり、気象庁のホームページにも黄砂予報ページがつくられている、ということなんです。

砂漠化を防ぐには植林だ、ということで日本人有志グループや有志企業が中国奥地の植林ボランティアに入ったりしていますが、大海の1滴に近いチャレンジが続いているところでしょう。

この植林の大切さですが、実は、日本にも危機があったといいます。


■日本のハゲ山

150年前頃、ペリーが江戸幕府に開国を迫って、ようやく明治になった頃、

来日した外国人が日本の山を見て驚いたのは、ハゲ山が多いということだったらしい、というのは、元国土交通省河川局長の竹村公太郎さんという方です。

その方によると、明治初期の東京近辺の山の写真がほとんど残っていない(筆者註:ハゲていて撮る魅力がなかったのかも..)のだそうで、詳細は不明だそうですが、

基本的に日本文明は「木の文明」ですから、当時、燃料をすべて木で賄っていたので、江戸・大阪の都市近辺などでは切り尽くしていたのだろうと推定されています。

木の文明で来た日本ですから、古来植林も各地でされてきたでしょうし、消費燃料も、飲料水も、食糧も、人糞・ゴミ処理も、少人数でこじんまり暮らす分には、そうそう問題になりません。

問題化するのは、大都市に人口が集中するという現象が起きて来たときです。

燃料にも建築材にも、家具材にも、木を使っていますから、木を大量消費していたわけです。

木は、1人の人間で年間20〜30本消費した計算になるそうで、江戸末期の人口は約100万人ですから、年間2000万本以上の木が伐採されていたとすると、いくら植林しても追いつかずに、近場の山はハゲていたのは、当らずとも遠からずでしょうね。

そうした当時の日本人が、石炭を燃料にしているペリーの船に非常に驚いて、すぐに木から石炭に、エネルギー源を転換していきます。

つまり、エネルギー源の転換で、木の伐採に歯止めがかかったわけです。

ですから、明治以来、発足した林野庁や河川局のような環境インフラ事業を担う部門では、明治初期に先生役として呼んだ来日外国人のアドバイスを受けて、「植林保全」が当初の至上命題になったのではないか、と推察されているようです。

ところが、現在では、明治以来の林野行政が槍玉にあがって批判されています。全国に一律に針葉樹の杉の木ばかりを植林してきたため、スギ花粉症の蔓延の原因になった、と。

地域に合わせた植生にすればよかったのでしょうが、当時は、建築材として将来の高値を見越した杉の木に統一してしまったようで、残念ですが。

実はどんな文明といっても、伐採と植林のサイクルをバランスさせないと、都市生活もままならなくなるわけです。インダス文明も、黄河文明も、チグリス・ユーフラテス文明、ナイル河畔などなど、地肌が剥き出しで、干からびた姿を晒すなかに、遺跡があります。

その点、中国の植林意識はまだまだ低いままなので、「黄砂」が徐々に拡大していく兆しを見せているようです。

前書きだけで、終わってしまいました。続きは来週号へ..
 <Rei>

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