

【 イスラムのゆくえ 】
序説
第1部
イスラム国寸描
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」
第2部
文明の概観、経緯、特徴
「イスラム文明拝見」
第3部
「イスラム文明の盲点」
第4部
文明の今後
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2004年の年間テーマ【 イスラムのゆくえ 】
複数の視点と切り口から、このイスラムの行方に迫ってみようと思います。
第3部では、イスラム文明圏の盲点に焦点を当てています。
イスラム圏の課題、現在の混乱を読み解く筋道をます。
序説
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」 第1部 イスラム国寸描
1〜3月
「イスラム文明拝見」 第2部 文明の概観、経緯、特徴 5〜6月
「イスラム文明の盲点」 第3部 文明の盲点 9月〜
? 第4部 文明の今後 12月〜
の括りになるよう書く予定ですが、配信月など変わることも..。
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■ イスラム文明の盲点 - 利子の禁止 【2004年9月13日】
絶対権力 / 利子の禁止
■絶対権力
イスラム圏では、天上天下絶対権力を持っているのは、アッラーのみということになっています。
彼らのなかではアッラーが唯一の真実であり、アッラーがマホメットを通して語った言葉のみが、変転極まりないこの人間社会の中で唯一の真実なんですね。
そのアッラーという存在は、人間に宿らないとされ、その考えを人間に分かる言葉で人間社会に伝えるために、歴代の預言者を通して語ってきた、とイスラム圏の人々は理解しています。
その最後の預言者という者が、マホメットであり、アッラーからの預言はマホメットで完成した。
ということを前提にして、イスラム教の基本が成り立っています。
ですから、
アッラーのみが唯一の存在である、というのは、文字通りそうなんです。
アッラー以外の人間はすべて、人間だという意味では、金持ちも貧乏人も、政治家も数学者も芸術家も家庭の主婦も職人も平等であり、対等な関係にあるという、この「水平性」が非常に前面に出ています。
アッラーの声を受けたマホメットですら、預言者といえども人間ですから、敬意は表すとしてもマホメットを神聖視してはならない、とされています。マホメットを崇拝するのは、偶像崇拝にあたるとしています。
マホメットといえどもアッラーの教えを実践する他の人間と一緒である、一歩先行く先輩信者、という位置付けであり、この世的な意味での=世俗的な権威・権力は持っていません。
ですから、一大ブンチンの中央のポッチがアッラー1人であり、他は、一律に平等ということになります。
この点、もし、欧米・日本文明圏でならどうでしょう。
少なくとも、マホメットは唯一絶対のアッラーから教えを受けられる人間なわけですから、他の人間一同の代表として、トップの位置づけになるでしょう。
ピラミッドのトップに立つわけです。ですから、アッラーの教えも、マホメットから次の高弟に伝えられ、徐々に末端まで拡がっていく、というように、系統をたどって拡がっていくでしょう。
同じ人間として平等だという点は認めながらも、
アッラーから啓示を受けられるだけの徳の高さ、器、その人格の高貴さ、その影響力、指導力というものを明確に評価して位置付けていきます。ざっくばらんにいえば、順位がつくわけです。
イスラム圏では、アッラーのみが唯一絶対なので、
アッラーと人間との仲介役としてマホメットが機能しましたが、問題はマホメットの死後なのです。
アッラーはこの世にいるわけではなくて、この宇宙全体を造った人間存在を超えた存在とされていますから、
マホメットの死後、このアッラーと人間社会を仲介する者はいないわけです。
しかも、マホメットがアッラーの最後の預言者であり、以後、預言者は出ない、とされているのです。
ということは、天上界とこの人間社会をつないでいたハシゴが取り外された状態です。
そうすると、
唯一絶対の存在であるアッラーが燦然と輝いていて、人間には手の届かない不可侵の存在であり、他方では一律平等のイスラム信者か、非イスラム(=信仰を持たない=人間になっていない)人間が地上世界に残されたということなわけです。
ですので、
イスラム圏の政治家というものも、欧米・日本型とは位置付けが違います。
欧米・日本圏でいえば、
宗教が担うのは権威です。
政治が担うのは世俗的な権力です。
ところが、以前のイスラム・コラム第2部「イスラム政治」でも書きましたが、
「政治」は、イスラムでは「信仰を行動で表わしたもの」を意味しますから、
イスラムの政治は、「正しい統治者のあり方」をめぐって揉め、「誰を政治の指導者
= つまり、正しいイスラム信仰の実践者として戴くか」という1点で動くのが、特徴です。
イスラムの政治家は、世俗的な権力の行使者として機能しているのではないのです。あくまでもイスラム信仰実践の生き方なのです、分かりにくいですが。
あくまでも、
アッラーの教えを実践する方法論のひとつとして、政治という手法があるというものです。
ですから、
イスラムの政治家は、各派の宗教指導者(とマスコミが表記していますが)がファトワ(=イスラム法に則った解釈)を出せば、従わざるをえません。
宗教的権威と政治的世俗権力が未分化というより、宗教的権威に世俗権力が飲み込まれている状態といえます。
では、
宗教指導者=イスラム法学者は、さぞ、宗教的権威を持って国民を統治しているかといえば、ノーです。
あのマホメットですら、1信者にすぎないとして、権威づけをされていません。
各派の宗教指導者=イスラム法学者といえども、宗教的権威はないのです。アッラー以外は。
そして、宗教指導者=イスラム法学者ですから、当然、政治的権力も発言権もありません。
あるのは、いろいろな事象をイスラム法でどう解釈するか、という解釈を発表して人々に最新の出来事に対するイスラム法に則った行動指針を提示するだけなのです。
ですが、そのファトワに基づいてイスラムの人々は1人1人自分の意志で行動しますから、欧米・日本社会でいえば、「イスラム宗教指導者」を実質意味するということになります。
このように、徹底して
平たいのが、イスラム社会の構造であり、その原形は
マホメットが7世紀に啓示を受けた後に仲間と造った少人数の平等なイスラム社会、信仰を中心に据えた簡素で単純な組織を雛型として踏襲しています。
こうした平等な一大ブンチン型の組織が機能するには、
中心のボッチとなる人物のリーダーシップ、人間的な魅力、能力がキーとなり、その中心人物の考えを理解できる同程度クラスの人々が集れば機能するでしょうが、こういった組織は少人数用だと思われます。
人数が増えていけば、当然能力の格差が出てきますから、さまざまな段階の中小リーダーが必要となり、垂直型=ピラミッド思考を取り入れていかざるをえないのが人間社会の実情です。
ここが、
アッラーのみが唯一絶対というイスラム圏の「水平」原則の限界なのでしょうね。
その意味では、イスラムの部族社会は、イスラム以前からこの地域で伝統的に踏襲してきたピラミッド組織なのでしょうね。
■利子の禁止
イスラム圏社会はアッラーの教えに基づいた、「平等」指向、「弱者救済」色の強い社会です。
それが、経済の中に端的に現れているのが、「無利子銀行=イスラム銀行」の考え方です。
イスラムでは、コーランの中で4箇所、アッラーが利子(=リバー)を取ることを禁じています。
基本的に他人が汗水垂らして働いて得た利益から、取り分を得ることを悪と見る考え方です。
つまり、不労所得を否定しています。
「この世界はアッラーが造った世界であるから、世界の全て(ヒト・モノ・カネ)の所有権はアッラーにある」というのが、イスラム経済の基本的なスタンスです。
ですから、
イスラムの人々は、銀行に預金しても、利子を受け取るとイスラムの教えに反してしまうため、欧米・日本型の銀行には預金できないのです。
タンス預金しておくか、目をつぶって利子を受け取り、その利子を急いで貧しい人々へ喜捨してしまうか。銀行に、利子の受け取り拒否を申し出ておくか。
イスラム圏の人々は、外国に留学しても、利子のつく欧米・日本型銀行を使えず、イスラム銀行を利用する以外敬虔なイスラム信仰を維持できないという不便さがあります。
この「利子」解釈をめぐり、この1300年間、イスラム法学者たちは智恵を絞ってきたのが実情です。
そして、
この「利子の禁止」が、その後に欧米型の有利子金融機構が全世界に拡がっていく中で、イスラム経済の発展を阻害してきたのだと思われます。
片や、欧米・日本は有利子型の金融を経済の仕組みのベースに組み入れ、お金を移動することで利益が出る考え方を定着させて、経済社会をより大きく発展させていきましたが、
イスラム圏は、この「利子の禁止」がアッラーの言葉だったために簡単には取り消せないわけです。
地上に残されている人間にできることは、この「利子」の意味合いをどのように解釈するか、ということにつきるわけです。
ですから、
「利子の禁止」にどう抜け穴を作るかを工夫して、実質的にはマホメット以後も実質的な有利子金融が行われてきていたのがイスラム圏の実情です。
が、その面倒なカモフラージュ手続きは、商取引が「売り手」と「買い手」のシンプルなものならよいのですが、近年のような全世界を相手にした複雑な取引ともなると、もやは対応できなくなるといった込み入った手順だったようですね。
今で言えば、例えは良くないかもしれませんが、
イスラム圏全体で、商取引間の利子を消し込む作業をして、あたかもマネーロンダリングのように証拠隠滅して対応してきたわけですね。
こういった国際金融上の手続きの煩雑さは、大変な労力だろうと思われますね。
そしてまた、敬虔なイスラムになればなるほど、この「利子」「利潤」を得るのに釈然としないわけです。これは、一方では、金持ちは貧乏人に「喜捨」する必要がある、というイスラムの教えと一対になっています。
つまり、「富」というものを正面から肯定できないわけです。
ですから、イスラム圏の貧困の原因は多数あるでしょうが、根本をたどれば、このアッラーの利子の禁止に行き着くということですね。
近年、
「利子(=リバー)」は良くないが、「利潤」は認めるという解釈に立ち、イスラム銀行を設立して運用して、ようやく経営が軌道に乗るところも出てきています。
それが、「無利子銀行」なのです。
無利子銀行というから、利子は一切付かないのかといえば、そうではなく、利潤は還元するというものです。
アメリカではベンチャービジネス立ち上げ時に、エンジェルと呼ばれる出資者をつのり、事業の全責任は起業家が負い、成功した際は出資者に還元する、失敗したときは出資者はリスクを負う。という資金調達方法がありますが、
これと非常に似ているようです。
別な言い方をすれば、ハイリスク・ハイリターン型の金融商品のような感じでしょうか。
こうした無利子銀行ができたために、イスラムの人々も「配当益」を得られる仕組みができましたが、ごく庶民のイスラムの人々が日々コツコツと貯めて行き利子がつくような性格のものではありませんね。
金持ちは貧乏人に施す義務があるのがイスラム社会なので、「配当益」もこの「分配=喜捨」の精神に当るという解釈です。
ある程度、ハイリスクに耐え得るような資金力がある人用でしょうね。
こうしたイスラムの「利子の禁止」と「無利子銀行」の仕組みが、世界金融の中でどのような位置付けになるものかは、評価が分かれます。
イスラムの経済学者は、「無利子銀行」の考え方が世界にさらに広がると見ているようですが、どうでしょうか。
イスラム人口が今後爆発して増えるために、相当程度の「無利子銀行」の増加はあるでしょうが、世界の金融の主流となるかといえば、疑問です。
筆者には、この「利子の禁止」、つまり「不労所得の禁止」は「労働」観の限界を意味していると思われるからです。
マホメットの時代、「労働」というものは、汗水垂らして働くか、智恵を巡らせてキャラバンに出て遠隔地で商売をしてくるか。実際の現場で働くことを意味しており、
それ以上の頭脳労働を「労働」の範疇には入れていなかったわけです。
その時代にも「カネ貸し」という商売はあり、暴利を貪っている業者もいたのでしょう。その利子を禁止しているわけです。
ですが、
既にその時代から1300年経ち、労働の意味も大きく変わっているのです。産業形態も、農業・漁業などの一次産業から二次産業、三次産業へと移行して、ホワイトカラー族も出現しました。
コンピュータの中でデータのやりとりをして、世界を相手にしたビジネスにかかわる業務が済んでしまう時代です。
労働の価値も、汗水の量ではなく、社会に対して創造しえた新たな価値の高低で計られる時代になっているわけです。そういった頭脳労働による利益は、「悪」でしょうか。
アッラーが、こうした時代を予測して「利子を禁止」したとは思えないのです。
筆者は、逆に、「不労所得」という言葉自体に左翼思想の片鱗を感じとります。金持ちを悪とみる見方です。
結局のところ、労働の質をどう評価するか、「富」をどう肯定するかという問題にイスラム圏がどう対処するのか、ということではないでしょうか。
こうした面から見ても、平等志向のイスラムと左翼思想はホントに隣り合わせだと分かりますね。
来週は、「水」に焦点を当てます。お楽しみに <Rei>
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