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【 イスラムのゆくえ 】

序説

第1部
イスラム国寸描
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」

第2部
文明の概観、経緯、特徴
「イスラム文明拝見」

第3部
「イスラム文明の盲点」

第4部
文明の今後
2004年の年間テーマ【 イスラムのゆくえ 】
複数の視点と切り口から、このイスラムの行方に迫ってみようと思います。

第3部では、イスラム文明圏の盲点に焦点を当てています。
イスラム圏の課題、現在の混乱を読み解く筋道をます。


             序説
ユーラシア異変
「イスラムとの遭遇」  第1部 イスラム国寸描        1〜3月
「イスラム文明拝見」 第2部 文明の概観、経緯、特徴  5〜6月
「イスラム文明の盲点」 第3部 文明の盲点         9月〜
?            第4部 文明の今後          12月〜

の括りになるよう書く予定ですが、配信月など変わることも..。

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イスラム文明の盲点 - 一神教の限界 【2004年10月18日】

    一神教の限界 / 民族宗教vs世界宗教 / 民族宗教を超える


最近、際限なく繰り返されるイラク情勢や、イスラム・中東地域の混乱、中央アジアの紛争地域などをみて、「一神教の限界」だと、はっきり発言する勇気ある日本人の各界のリーダーもでてきました。

今週は、イスラム圏理解の根本の根本、「一神教の限界」を眺めてみます。おつきあいくださいませ。


■一神教の限界


「一神教の限界」

これは、日本人なら心のなかで誰しもウスウス感じていることだと思われます。日本人の感覚では、神や仏には元々さまざまな個性があり、役割にも影響力にも、神様にもいろいろ違いがあるものだ、と理解されているからです。

この多神教が根付く地域の世界観からみれば、

「アッラー」も、多数いる神々のうちの1人だという感覚です。中東地域の人々を指導していて、尊敬を集めている...というところでしょうか。

このように、日本人の感覚では、神や仏といえども多人数いて、相対化されたものとして理解されています。

元々、神や仏には違いがあると理解してますから、「神や仏の違い」を理由に地上にいる人間どうしのケンカに発展することはないわけです。

ですから、子どもが生まれたらお宮参りをし、受験必勝のお札をもらい、年末はお寺の除夜の鐘をしみじみ聞いたり、明ければ近所の神社やお寺に繰り出し、結婚式は教会のチャペルで挙げたり、クリスマスを師走のイベントにしたり、葬式は仏式か神式かに分かれたりします。

神や仏に個性と役割があるぐらいですから、人間の似姿をとった仏像、神像から始まり、果ては動物、鉱物、植物、風景そのものまで拝む対象にします。具体的な姿があります。



一方の、「一神教」の世界、「アッラー」を奉じる世界では



「アッラー」は人間に宿るような小さな存在ではなく、人間以上の存在としてこの宇宙を創ったとされていますから

まず、この段階で、日本人の多神教の世界観では、「アッラー」像がフッと分からなくなります。

「アッラー」を人間の「おじさん」のように想像していると、違うということですね。

人間の似姿としてアッラーを神像にするなどということは、もってのほかのことですから、偶像崇拝禁止です。

つまり、

「アッラー」は特定の徳の高い個人ではなく、「宇宙全体を創造した存在」という意味を強調したいのでしょうね。

この、「アッラーの教えのみ」が正しく、「アッラーの世界観」のみが正しいとしていますから、他のあらゆる神や仏は「間違っている」。間違った神を信じる人々ということになります。


ですから、

以後、イスラム勢力が歴史的に拡張した地域では、インドでも、仏教寺院の仏像は軒並み破壊され、出家していたお坊さんたちが殺害されてしまいました。

インドで仏教が今に伝わっていない原因に、この、イスラム教徒による仏教寺院の破壊と仏教徒の殺害が挙げられています。

つまり、仏教は、初期には人々は出家僧となって、集団で仏陀の教えを学び、心の修行をして、街を托鉢をしながら人々に教えを説いていたわけです。

ですから、この仏教僧とお寺がなくなれば、仏教自体を継ぐ者がなくなり、以後インドの仏教は滅んでいくことになったわけです。


客観的に見れば、

今の世界の中で、あそこまで「アッラー」を信じて、貧しく、戦いを止められないにもかかわらず、彼らはどうして「アッラー」の教えが一番優れていてさらにこの地球上に広める必要があると感じているのか、ですね。

この根拠は、「アッラー自身がマホメットを通して、唯一の神だ」と人間側に伝えてきたことにあります。

つまり、人間側としては、この「アッラー」の言葉を丸呑みしたわけです。「アッラー」がこの宇宙の中で唯一の神だと名乗ったことをです。

これだけが真実だ、他は間違っている、と考えているわけです。

この一神教の限界は、他の考え方を包括できないために寛容さがない、という点にあるのではないかと筆者は思います。

違う世界観、考え方をどう取り込んでいくか、が恐ろしくヘタくそなんだと思われます。それが、結局、寛容さのかけらもないという、一神教の一番の欠点ではないでしょうか。

少なくとも、一神教を名乗るなら、同じ地球に住む多様性のある人々全体を納得させられるだけの世界観と教えが必要ですし、それがなければ、排斥しあう事態が必ず起こるのだと思われます。

一神教の教徒どうしの激しい対立に対して、多神教を理解する側は自分たちの認識の優位さを感じつつも、一神教どうしの対立を緩和する言葉が見つからないのが現状です。



■民族宗教vs世界宗教

この地球には、各地域や民族にそれぞれ固有の民族神がいて、民族宗教があります。

これは、日本で考えても、各地域が県単位で分かれて県知事が立ち、行政を行うように、政治といっても各地を多人数で分担しているようなものと考えると分かりやすいですね。

単なる車をとってみても、乗用車から、トラック、バス、タクシーなどなど、乗用車ひとつとってもセダン、クーペ、ワゴン、スポーツカータイプなどなど、色もさまざまあるようにです。

その地域、地域での特徴がありますし、そこに集う人々にも気質や経済、民度の差があるのが常ですから、各民族宗教もそれなりに個性があり、にぎやかにやっているわけです。

この各民族宗教も、他の民族宗教を攻撃したりしない範囲で共存することは可能ですね。

その民族の勢力範囲は、その民族宗教を信じる勢力範囲とほぼ同じだとみてよいのだと思います。


イスラム教と同じ一神教には、砂漠地帯からでた同根のキリスト教、ユダヤ教があります。


どちらも、ヤーヴェ、エホバと呼び名は違っても、同じように「唯一神」を名乗る神からの教えを奉じていますが、

なぜ、キリスト教が世界宗教と呼ばれて、民族を超えて世界に広がったのでしょうか。

それは、やはり、キリスト教の教えに、固有の民族だけを導く教え以上の、「愛」に代表されるような普遍的な教えが含まれていたからだと思われます。

そこが、キリスト教が民族宗教の枠を越えて世界へと拡がっていった理由でしょうね。

同じ一神教にユダヤ教がありますが、こちらも、世界宗教とはいいません。ユダヤ人のみを導く教えでローカルなままにこの3000年を来ており、どう考えても世界宗教にはなりえないわけです。

では、

イスラム教は、民族宗教か? それとも、世界宗教か?

イスラム教徒たちの資料を読むと、彼らはイスラム教が世界宗教にふさわしい、と考えているようですね。「アッラー」のもとに、国籍・民族を超えてひとつになれる教えがあると理解しているからです。

そして、現に、世界の貧困国・発展途上国が大部分とはいえ8億、9億人口に迫ろうという勢力範囲にまで広がっているからです。

これが、世界宗教イスラムの根拠のひとつになっているようです。


ところが、


ご承知のように、世界各国は、こういった暴力を伴うイスラムの方法論には辟易しつつ、手を焼き、遅れている困った人々、と感じているわけです。

このイスラム教が世界宗教にふさわしい?! とんでもない、というのが本音でしょう。

世界で一番優れた教えを奉じているのなら、さっさと近代化して、もっとまともで豊かな国づくりをしたらいいのに。と考えるからです。

まして、自分たちの貧しさの原因をキリスト教世界の不当な支配、経済圧迫だと考えてテロ(=イスラムでは聖戦)に走る過激派は、どう考えても豊かさに嫉妬した犯罪者に過ぎないわけです。

穏健派のイスラム教徒たちは、このテロに走る同朋の過激派をイスラムの教えに基づいた論理で説得できていません。イスラム社会の中で自分たちの手で断罪できていません。逆に、むしろ、自分にはできないが心情的に拍手している面もあります。

それは、

コーランの中で、この聖戦(=異教徒、不信心者との戦い)を奨励しているので、聖戦に参加することは即アッラー信仰の実践になるからです。

この点から主張されると、穏健派は黙ってしまうのでしょうね。

こうして、イスラム教徒の中でも、暴力への自浄作用が働かず、イスラム近代化の道筋も自分たちの理論として打ち出せていません。


ですから、

イスラム教圏は、暴力を伴う拡張性も高かったために、今のような広範囲な地域にまで版図を広げられたのであって、本来の教えという観点からいえば、世界宗教というには見劣りがするのだといえます。

貧しさを共有して、自浄作用の働かない、暴力肯定の文明圏がこれ以上世界各地に広がるのを、他の国々は歓迎していないわけです。


■民族宗教を超える

こうしてみてくると

今起きている世界各地の紛争の裏にあるのは、各民族宗教の違いによるお互いの理解不足が大きいということが分かります。

自分の属する民族宗教を奉ずるのは良しとしても、

民族宗教の世界観で他民族や世界全体をどうこうしようとするのは、無理があるということです。

特に、イスラム圏が全世界に拡がった様子を想像すれば、今の世界が貧しくなる、女性は人生の自由度を失うということですから、そういった不自由な世界に、自由世界の人々が賛同するわけはないですね。

今という時代は、

19世紀、20世紀と続いてきた民族自決の時代、つまり、国民国家としてのアイデンティティを確立する時代の仕上げを迎えているといわれます。

この手順を2週遅れで進んでいるイスラム圏では、

ようやく民族自決の根拠である民族宗教の勃興を迎えているのだと思われます。それは、直近のできごととしてはホメイニ師のイラン革命であり、イライラ戦争であり、イラクの核疑惑、中央アジアのイスラム新興国の勃興であり、イスラム圏の紛争の激化、イスラム過激派テロの頻発ということにつながっているものですね。

ただ、この民族宗教どうしの軋轢は、この21世紀中を通して長く続き、次の段階に進む準備であるとも感じます。

結局、

イスラム教との軋轢から見えてくるものは、情報通信網でつながったこの地球という環境に住む多様な人々全体に納得される基本的な世界観とは何なのか、ということに尽きるのではないでしょうか。


いやー、アッラーの未来まで踏み込めませんでした! 続きは来週です。お楽しみに
 <Rei>

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