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【 イスラムのゆくえ 】

序説

第1部
イスラム国寸描
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」

第2部
文明の概観、経緯、特徴
「イスラム文明拝見」

第3部
「イスラム文明の盲点」

第4部
文明の今後
2004年の年間テーマ【 イスラムのゆくえ 】
複数の視点と切り口から、このイスラムの行方に迫ってみようと思います。

第3部では、イスラム文明圏の盲点に焦点を当てています。
イスラム圏の課題、現在の混乱を読み解く筋道をます。


             序説
ユーラシア異変
「イスラムとの遭遇」  第1部 イスラム国寸描        1〜3月
「イスラム文明拝見」 第2部 文明の概観、経緯、特徴  5〜6月
「イスラム文明の盲点」 第3部 文明の盲点         9月〜
?            第4部 文明の今後          12月〜

の括りになるよう書く予定ですが、配信月など変わることも..。

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イスラム文明の盲点 - アッラーの未来 【2004年10月25日】

    負けて分るもの / 共業 / 原理主義


今週は、「イスラムのゆくえ」第3部、「イスラム文明の盲点」の最終稿をお送りします。
先週から、民族宗教を取り上げています。


■負けて分るもの

イラクの反米勢力、旧フセイン(=旧バース党)勢力の残党やイスラム過激派に対して、シリアやサウジアラビアから活動資金が蔭で渡っている、と報道されています。(産経2004.10.24付け)


そうでしょうね。


現金を抱えて土中に潜んでいたフセインが掴まって以来、イラク反米勢力に誰かが資金援助しない限り、イラク反米勢力の武器弾薬も尽きるからです。

2004年7月〜8月時点での楽観的な見方では、

イラク反米勢力の反抗も、武器弾薬が尽きるまでのしばらくの間であって、外国からの武器弾薬の供給がない限り、散発的になって徐々に収まっていくもの、と見られていました。

地形的にみても、反米勢力の結集するファルージャはイラク中央部の平地部ですから、外国勢力など外部から武器弾薬を供給しようとすると、その姿が丸見えになりやすく、人目につきやすく難しそうにみえていました。


ところが、


2004年7月の主権移譲後、一旦弱まったとみえたテロ攻撃がまたぶり返してきていますから、誰かが資金を提供しているわけです。

そのバックの資金源になっているのが、シリアやサウジアラビアの反米勢力だということをアメリカが認めて苦々しく感じているということが、新聞記事になっているわけです。

シリアやサウジアラビア政府は、表面上ではイスラムテロを批難し、親米政策を採ると表明しているにもかかわらず、実際のところは、自国内部の反米勢力によるイラク反米勢力への資金援助を野放しにしているからです。今のところ、2国とも取締り強化の姿勢をみせていません。


イスラム圏の人々の深層にある、こうした抜きがたい反米=反キリスト教文明、アッラーのみを唯一とする考え方が収まらない限り、今後ともかなり長期間に渡って、イスラム過激派など反米勢力によるテロ暴力は収まらないのでしょう。

特に、

2005年1月のイラク(男女普通)民主選挙実施、この阻止に向けて、イスラム過激派と反米勢力は今後集中妨害してくることが予想されます。


どうしたら、このイスラム過激派や反米勢力のテロが止むのでしょう?


即効性のある特効薬のようなものはなさそうですが、


その方策のひとつは、冷たいようですが、やはり

イスラム過激派や反米テロ勢力がこの際、徹底的に負けてみることだと、筆者は思います。話して分からなければ、実地に徹底して負けてみることも必要ではないかと思います。

そして、

自分たちが唯一絶対だとこれほど信じている「アッラーの教え」に従って戦っているにもかかわらず、徹底して負けてみることで

「アッラーは本当に唯一最高の神なのか? 実は、そうではないのではないか..他にも優れた神はいるのではないのか..」と疑問を抱き、

なぜイスラム圏が貧しいのか、近代化に乗り遅れたのか、この厳しい現実を認めざるを得なくなる日が来るのではないか、と期待しているからです。


そのときまでには、


今後も戦乱による破壊と荒廃を経験するでしょうし、限りない戦争悲劇も起こるでしょうし、戦乱と破壊の中で経済活動が発展するわけはないのですから、

国民全体が貧しさを等しく分かち合うという面も出るでしょう。


そのときに、世界貿易センタービル爆破のように、


この貧しさは先進国諸国のせいだ、悪魔の教えを奉じる国が繁栄するのはけしからん、といって自由世界にテロを仕掛けてくるようでは、しょうがないわけです。

そうではなく、逆に

これは、「信じているアッラーの教えが最高のものではないのではないか..」と気づくことが期待されているわけです。暴力を肯定する民族の拡張や世界のイスラム化は、この地球全体を決して幸福にする世界観でも方法論でもないということをです。


そのときに、はじめて


イスラム圏は、さらに次の発展へのきっかけを掴むのではないかと思われます。世界の他の文明圏の考え方、世界観や民族宗教を認めて、その良い面もイスラムの限界も認められるようになるのではないでしょうか。



■共業(ぐうごう)

そうしたら、

イスラム圏の人々自らが、イスラム過激派や反米勢力に走る周囲の人々を説得できるようになるのではないでしょうか。


筆者は、やはり

イスラム過激派に走る人々を最終的に押し止めるのは、イスラム圏の健全な人々だと思います。また、その責任が、イスラム圏全体の穏健派の人々にはあると考えます。


例えは飛びますが、


日本には「オウムOO教」が出現して、世間を騒がせました。それは、日本社会を土壌に花咲いた毒キノコのようなものです。このオウムが宗教を否定する旧ソ連で教団を成長させましたが、サリンを撒いた東京以外にもモスクワなどで首都攻撃をしていたらどうでしょうか?

やはり、そうしたオウムを生んだ責任は、日本人と日本社会にももちろんあるわけです。

オウムがモスクワで逮捕されてロシアで裁かれるのは当然としても、オウム出身国の日本社会、オウムを生み出した日本社会の原因については、日本人と日本社会が考察と修正をかける以外ないわけです。

間違ったカルト集団の言動の全責任はオウムにありますが、そのオウムを生み出した日本社会にも責任があると考えます。日本人としては、かなり恥多い事件なわけです。

オウムの前は、日本赤軍派などなど。これらも、日本社会の責任というものがあるわけです。

つまり、

さらなる「悪」を彼らに犯させないようにするために、健全な社会常識を共同責任で正常に機能させることとでもいえるでしょうね。

仏教でいえば、「共業(=ぐうごう)」に当るものです。同時代に生きる社会の構成員である人間には、その社会の出来事に対して、共同の責任があるということを指します。


それは、往々にして、


「不作為の責任」。つまり、悪を積極的に阻止しない、その悪に対して何らかの働きかけをせずに口をつぐんで知らんふりをするという行動になって現れがちだということですね。


「言ったけれど、聞き入れない。無視される」すると、もう勇気ある言動はなし崩しになってしまい、「悪」が跋扈する社会になってしまうわけです。

ですから、こうした社会を持ち来たらした責任は、その時代・社会に住む全員にあるということなわけです。それが、「共業」と呼ばれているものですし、そのツケは、社会全体で苦しむということになるわけですね。


こうした「共業」の観点から見ても、


暴力に特化したイスラムカルト集団ともいえるイスラム過激派や反米勢力が非イスラム各国を攻撃することに対して、良識あるイスラム穏健派の人々やイスラム社会が取るべき責任の大きさはもっともっと強調されていいことだと思われるのです。

イスラム教に、こうしたイスラム過激派の論理を覆して説得するだけの教えや解釈がなく、今後も理論を構築できないとするなら、

イスラム教に未来はないのではないか、と思われるわけです。

つまり、宗教としてのイスラム教の未来は、現状のままでは「限りなく不透明」という結論になるのではないでしょうか。




■原理主義

イスラム過激派のすぐ近くにあるのが、イスラム原理主義、「原理主義」というものです。この「原理主義」に代表される考え方は、どこの世界にもあり、キリスト教にもあり、仏教にも、他の宗教以外のなんにでもあります。


この「原理主義」自体は、人間の理解力の低さゆえに出てくるものだと思われます。


それは、この世界の基本的な成り立ちに由来しています。この世界では時間は刻々と進んでいき、時代が絶えず未来へと移り変わるからです。

最初に出された優れた考え方や教えも、地域、時代、民度といった条件に左右されます。時代が移り変わりますから、最初にうまく行っていたものも、ずれが出てきます。

そのときに

受け止める人間の方の理解力が低いですから、最初の考え方の本質を時代に合わせ擦り合せて変えていくことが難しいわけです。

もし、それをやったとしても、その正邪を判断する者がいないわけです。ですから、後になってから最初の考え方や教えを変更することは至難のわざです。

先生はあのときこう言った、アッラーの啓示ではこうだ、という風になります。


ですから、


たとえばイスラムの「利子の禁止」も、西暦7世紀のマホメットが生きて啓示を受けた当時のアラビア半島では、暴利を貪る金貸しも横行していたのでしょうね。

不労所得の禁止が目的だといわれ、当時のアラビア半島には必要なものだったのでしょう。


ですが、その後


時代は移り、お金を移動させると利益が生まれるという健全な金融システムが開発され、大航海時代の貿易を通じてヨーロッパで発達していきます。

その時代の変化に、イスラムは「利子の禁止」の教えを超えられずに、ついていくことができませんでした。

あの、商業文明が特徴のイスラム圏から経済繁栄が抜け落ちていくことになったわけです。


仏教をみても、


仏教的な原理主義といえば、最初の仏教徒たちは出家をして仏陀の教えを学び、街を托鉢して教えを人々に説いたスタイルです。まずお坊さん自身の修行が最優先されるもの(小乗)でした。

その後、大乗仏教の時代になると、出家せずに仏陀の教えを学び、仕事もし、家庭も持ち、仏教を社会に広めていくようにもなります。

それを、今でも、「仏教は出家僧が托鉢してやるんだ、それ以外の布教は間違っている」といって、最初の方法に固執したら、簡単に仏教の原理主義が出来上がります。

持ち物は、普段着3着と托鉢用のお椀1個。それ以外の私物を持つことは我欲(=貪欲)だ、と現代の時代に言ったら、今の社会は豊かですから、同時代人全員が、貪欲の虜になっていることになってしまいます。


でも、


現代は、貨幣経済が発達して、ほとんどの人間が何らかの社会生活に参加して、仕事を持って生きる時代になっていますから、「原理主義」ではやっていけないことは明らかなわけです。

この原理主義とイスラム教徒の相性がいいのは、やはり、イスラム教が「一神教」宗教だということも大きいと思われます。

これ以外はダメだ、認めない。ということですから、思考パターンが同じで、多様性、時代性を考慮する器の大きさや寛容さはありません。認識力の低さを逆手に取っているわけです。

まあ、イスラム教を全世界に敷衍するにはかなりの限界があるということですね。

その事実を、イスラム圏の方々が自覚すること、それが今、要請されているのではないでしょうか。


今週号コラムで、「イスラムのゆくえ」第3部、「イスラム文明の盲点」の最終稿になります。途中お休みもいただきましたが、なんとかこぎつけました。ありがとうございます。

11月は、時事テーマを取り上げます。 イスラム〜第4部、「まとめ」は12月にお送りします。
お楽しみに <Rei>

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