

【 イスラムのゆくえ 】
序説
第1部
イスラム国寸描
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」
第2部
文明の概観、経緯、特徴
「イスラム文明拝見」
第3部
「イスラム文明の盲点」
第4部
文明の今後
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2004年の年間テーマ【 イスラムのゆくえ 】
複数の視点と切り口から、このイスラムの行方に迫ってみようと思います。
第3部では、イスラム文明圏の盲点に焦点を当てています。
イスラム圏の課題、現在の混乱を読み解く筋道をます。
序説
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」 第1部 イスラム国寸描
1〜3月
「イスラム文明拝見」 第2部 文明の概観、経緯、特徴 5〜6月
「イスラム文明の盲点」 第3部 文明の盲点 9月〜
? 第4部 文明の今後 12月〜
の括りになるよう書く予定ですが、配信月など変わることも..。
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■ イスラム文明の盲点 - バランス 【2004年10月11日】
欠けているもの / イラク戦争の意味
今週は、イスラム圏理解のキーワード「水平性」について、1つの違った視点から眺めてみます。おつきあいくださいませ。
■欠けているもの
突然ですが、「バランス」というと、何を思い浮かべますでしょうか?
同じ重さのおもりが左右の端についた、均衡したシーソーなどが思い浮かぶでしょうか?
バランスというと、ついつい、均衡して、右と左が対等に釣り合っている様子を思い描いてしまいませんか?
そして、同量で釣り合っている姿が正しい姿だと、無意識のうちに考えてしまいがちです。
と、これが、案外、人間の盲点だな、と思わされます。
それに思い当たったのが、経営者セミナーに出ていたときのことです。
経営は、ヒト・モノ・カネ・情報といった資源を組み合わせて、いかに人々に求められる付加価値を生み出していくか、を考えてさまざまな手を打っていきます。
こうした経営でいう「バランス」というのは、ものごとをならして「平均」させることではなくて、「格差をつける」ことなのです。ひとつひとつには格差をつけつつ、全体としてみれば順調に進むように組み合わせることなんですね。
これに思い当たり、なるほどなあ、と目からウロコが落ちた思いがしたことがあります。
何の前振りかというと、
イスラム圏の「水平性」の話なんです。
格差をつけるということは、個人個人の得意不得意や個性を認めて、個人個人が自由意志で努力をした成果を公平に評価するということです。
この、人はみな、人間としての価値は等しいけれども、その努力の結果については公平に処遇する(格差がつく)という考え方は、欧米・日本など自由主義社会では社会をつくる前提になっています。
「水平」+「垂直」がうまくバランスを取って融合している姿です。
これに対して、イスラム圏は
あまりにも、アッラーの下の平等が強調されすぎていているため、個人個人の個性の自由な表現と、達成した成果に対する評価の仕組みが、社会全体でうまく機能していないように思われます。
イスラム男性は、みな同じような服装をして、ヒゲがあり、あまり見分けがつかなかったりします。女性も、ベールを被れば個性も何も見えなくなってしまいます。
普段の行動も、各個人の自由意志というよりは、イスラム法学者の法解釈を聞き、それに従ったり、男性女性の仕事が限定されていたりなど、自由意志と自己責任で人生を生きるものではないようです。
特に、イスラム社会に生きる女性は、自分たちの状況を普段、そんなに不自由さとして意識して生活しているわけではありません。生まれたときからですから、不満を感じつつも、社会はそんなものだと考える人々もまだまだ多いわけです。
イスラム女性の中には、自由社会に生きる女性の自由を矮小化するムキもあります。
「自由自由と、外で働くといって、私はトラックの運転をする自由なんかほしくないわ」
といった感想です。
ですが、突然イスラム圏を訪れた筆者などは、
その目に見えない息苦しさに、閉口しました。最初は物珍しさもあって面白がっていたのですが、1ヶ月、2ヶ月と経つうちに、手足をもがれたような物足りなさを感じていきました。
外出時は、女性1人で道1つ歩けず、その家の男性が遠くからついてきます。ベールを被らずに女性1人で道を歩いたら背中から石が飛んできて危ないという理由です。その家の男性も、自分の家にいる女性を守るという男性の仕事としてついてくるわけで、分からないではないですが、うっとうしくて楽しくないわけです。男性も、好きでついてきてるのではないでしょうし。
女性が自分の意志で、好きな場所へ行く自由。
これがない世界がこの地球にあるんだと気づいて、ほんとうにびっくりしました。
到底、筆者は、イスラム社会では生きられない、と感じたのが正直なところでした。
アッラーの教えでは、「女性」を「男性」より劣った性だとしていますから、男性も女性も個性を発揮する自由度が限られていて、この点でも、イスラム圏はバランスが悪いわけです。
男性、女性という十把一絡げで捕らえられてしまい、個人の個性や能力を評価する公平性が社会全体に渡って弱いわけです。
また、部族主義が横行するということは、
王家出身など、出身部族や門地によって、社会的地位や職業などが決まるということですから、
どのような生まれであろうとも、能力があれば社会有意な人物として評価されて、世に立ち貢献できる道が開かれるという、社会全体が認める公平性が仕組みとしてまだまだ足りないということです。
こちらも、バランスが取れていない(=公平性が実現していない)ということです。
こうしてみても、イスラム圏に今後必要なことは、欧米・日本など自由主義社会がもつ、「垂直性」、つまり、個性を認めて公平に評価する仕組みを導入して、「水平性」と「垂直性」のバランスを取っていくことだと分かります。
ですが、
これがまた、非常に遅遅とした歩みだろうとも推定されます。
一歩前進二歩後退、という揺り戻しをしつつ、ゆっくりゆっくり100年、200年かけて変化を受け入れていくものではないでしょうか。
たとえば、
男性女性を平等に見るということひとつを取り上げても、アッラーの教えを捨てる、信じない、ということです。アッラーの教えより、欧米・日本型の文明の公平性を認めるということですから
8億、9億にもなる人々が一気に考え方を変えることは期待できません。
進歩的なリーダーたちが社会の変革をしていこうとするでしょうから、頑強に反対するアッラーこちこちの原理主義グループを中心とする古い考え方の人々とのバトルを繰り返しつつ、進んでいかざるをえないわけです。
その度ごとに、イスラム社会は不安定になり、過激派テロも横行して迷惑するでしょうが、それは、このイスラム圏のバランスの悪さからきているわけです。
イスラム圏が苦悩しつつ新しい社会の枠組みを作っていく、産みの苦しみ。それが、イラク戦争を端緒に本格的に始まったのだと、筆者はみています。まず、100年単位で考えたいところです。
■イラク戦争の意味
いま、ブッシュvsケリーのアメリカ大統領選挙も近づき、イラク戦争の是非をはじめとして、今回のイラク戦争の意義をどう考えたらよいのか、論議を呼んでいます。
もちろん、それは結局、イラクの戦後がなかなか安定しないことから出てきている論議です。
イラクは、このまま部族社会の混沌に戻ってしまうのではないか。結局、欧米・日本などの自由主義諸国は、イスラム圏にちょっかいを出して価値観を押し付けただけではないのか。彼らの未来は彼らに任せるべきで、間違った手出しをしたのだという、悲観的な見方が台頭してきています。
ですが、
筆者には、それらの論議は、あまりにも近視眼的に過ぎるようにも思えます。
ここはひとつ、イラク戦争の意義を一段大きな視点から見てみたいと思います。
アメリカが戦端を開こうが、どの国が攻撃しようが、あまり大きな違いはなかったように思えるわけです。
この地球という視点から見て、文明圏として大きく立ち遅れてしまったイスラム圏です。しかも、その地政学的な位置付けを見れば、ユーラシア大陸とアフリカ大陸を結ぶリボンの結び目のような場所にあります。
しかも、アフリカ大陸の諸国も、今後の発展を期待されてはいますが、なかなか黒人種の文明圏としては立ち上がってきていません。しかし、今後の成長だけは期待されている地域です。
ですから、
100年、200年、300年というスパンでみれば、必然的に、イスラム圏は変わらなければならない時期を迎えていたわけです。
内部で自分たちの力で変革できずに、アメリカへの嫉妬からアルカーイダにテロ攻撃をさせてしまい、アメリカからの反撃を誘発したわけです。
結果的には、今現在は、「てんやわんや」しているわけです。これは、イスラム圏全体が大きく近代化の舵切りをしていく端緒に過ぎないわけです。
今後、当分=つまり100年、200年はかかりつつ、このイスラム圏がゆっくりと変わっていき、近代化したイスラム圏自体が繁栄して、新たにアフリカ大陸の諸国をリードしていく場面も出てくると思われます。
今後、ヨーロッパ諸国は衰退が予想されますので、アフリカ諸国は、旧宗主国のヨーロッパをそうそう当てにはできませんし、お手本にもならなくなります。
まして、宗教は、サハラ以北、以南まではイスラム教のスーフィズム(神秘主義)の一派がほとんどですから、中東のイスラム圏からの影響が及びやすい利点もあります。
そう見てみると、
私たちも、一段と大きな視点からの「バランス」感覚でこのイラク戦争を評価する必要がありそうですね。
イスラム圏の近代化の端緒が、なぜ「イラク」だったのか? ですね。
筆者は、やはり、必然的に「イラク」だったのではないかと思います。
というのも、
イラクは、イスラム圏の中でも、女性がベールを被らずに街を歩き、大学進学率も高く、非常に開かれたイスラム国です。また、国民性も、非常にまじめで努力する人々で、科学、工学なども発展しています。民主的な選挙も、充分に実施できるほどの民度があります。
それで、核兵器を作った、作っていない、といったことにもなったわけで、科学技術水準が高いのです。
ですから、イスラム圏をリードしていく国として、資格は充分にある方々なんですね。
今回、国の破壊も進みましたが、一方では、イスラム社会の仕組みが適用できないほどまで破壊されることは、旧弊を一掃できることでもあり、筆者はそう悪いことばかりではないと考えます。
日本も、約60年前に焼け野原まで行きましたが、ある意味で、旧弊を捨ててゼロから立ち上がる機会にも恵まれたわけです。
同様に、あの、イスラムのコチコチの旧弊を破壊するには、これぐらいの衝撃が必要だったのだとも、言えるのではないでしょうか。
スンニ派、シーア派、クルド人、と分かれて当分「てんやわんや」するでしょうが、この3派が協力しないと国が動かない状況にまでなれば、部族主義などと言っていられなくなります。
それで、いいのではないでしょうか。能力のある人がどこからでも出てこれる社会にしていくチャンスですし。
「アッラーを信じているのに、なぜ、自分たちは貧しいのか?」
イラクの人々には、これを、正面からぜひ考え抜いて答えを出していただきたいものだと思います。
ある意味で、徹底的に負けてみることも、大事なのかな。ということでしょうか。
戦争を積極的に肯定するわけではありませんが、どのような戦争も全て悪だ、大義がない戦争は悪だ、とする考えは、極端で「バランス」感覚が足りないようにも思えます。
長い目で見れば、戦争にも活用できる面があるというところが、人間と歴史の妙味なんでしょうね。
来週は、イスラム文明の盲点の最終稿、アッラーの未来についてです。
お楽しみに <Rei>
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