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【 イスラムのゆくえ 】

序説

第1部
イスラム国寸描
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」

第2部
文明の概観、経緯、特徴
「イスラム文明拝見」

第3部
文明の盲点

第4部
文明の今後
2004年の年間テーマ【 イスラムのゆくえ 】
複数の視点と切り口から、このイスラムの行方に迫ってみようと思います。

第2部では、イスラムの中心部であるアラビア半島に目を向け、・イスラム文明が起こってきた経緯や、特徴・イスラム文明が担った役割をみてみようと思います。
「そもそも、なぜ&どのように、イスラムが起こってきたのか」から入ってみます。


             序説
ユーラシア異変
「イスラムとの遭遇」  第1部 イスラム国寸描        1〜3月
「イスラム文明拝見」 第2部 文明の概観、経緯、特徴  5〜6月
?            第3部 文明の盲点          8月〜
?            第4部 文明の今後          10月〜

の括りになるよう書く予定ですが、配信月など変わることも..。

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イスラム文明拝見 - 言葉の価値 【2003年5月30日】

    言葉の力 / コーラン検証


イスラム圏では偶像に類するものは、人形も、写真も、彫刻も、すべて禁止されています。ですから逆に、

「啓典の言葉」や「文字」に対してあらゆる情熱を注ぎこんでいます。
対外的には戦闘に明け暮れる彼らの内面世界を見てみます。



■言葉の力

イスラム文明では、「言葉」のもつ力を非常に重視しています。

「アッラー」からの啓示を自民族の「言葉=アラビア語」で受けられたという誇り、啓典を受けられる民族であるという誇り、はもちろんですが、

「言葉」に対するイスラムの人々の感じ方には、砂漠地帯に住むという自然環境からの強い影響を感じずにはいられません。


砂漠は、見渡す限り空と砂ですから、物質的な豊かさというものは何もありません。

ですが、

砂漠の好きな人がよく、「砂漠は豊かだ、無一物即無尽蔵を感じる」と逆説的な言い方をするように

砂漠にあるのは、空と、砂と、向き合う自分という人間だけに限定されるために、むしろモノという不純物がなく、人間のもつ精神の豊かさを実感するようなのです。

人間の精神作用、つまり、思いや言葉、ビジョンは、何不自由なく、とめどなく出てきて無尽蔵なわけです。

この精神の働きは、目に見えないものですが、人間を動かす大きな力を持ち、言葉を介して「アッラー」とつながることも可能です。

ですから、イスラムの人々は元々「言葉」に宿る力=日本で言う「言霊」を重視してきました。


7世紀頃には、カアバ神殿に「詩人」も偶像として祭られていたとあります。

調べてみると、イスラム文明では、詩人の社会的地位が非常に高いのです。

人の魂を打ち精神を高め、浄化する「詩=言葉」を聞くことは、地上での最上の贅沢のひとつであり、真実を穿つ美しい言葉を詠ずる詩人を雇うことは、大変なステイタスなんです。

恋の詩、敵を嘲る詩、などなど。詩の優劣は部族の名誉にかかわるものであり、1年に1回、詩の競作大会を開催して詩人を育成していた、とあります。

部族間の戦争時にも、

まず、お互いの雇う詩人が歩み出て、言葉による戦闘を行い、それで説得力があり、兵士たちに感化を与えたときには勝ってしまうというものです。

あれ、何か、ピンと来ませんか?

去年のイラク戦争で、劣勢にもかかわらず毎日大々的に「ほら」を吹き通して、「コミカル・アリ」と言われていた、あの人物。元フセイン政権の宣伝相。

あれは、ひょっとするとイスラム伝統の「詩人による舌戦」を担ったものだったのかも...。


また、

偶像禁止により絵画・彫刻・写真・宗教音楽がないのに加えて、

「アッラー」の「言葉」は、それだけで、特別な力があると信じられていますから、美しいアラビア文字のカリグラフィー=書芸術として発達していきました。

この書芸術を見ると、書体による表現の幅、平面デザイン感覚など、案外、日本の書道やジャパン・デザインの平面性との接点があって、感覚的に理解しあうことは可能だな、と思えてきます。

メッカのカアバ神殿(=巨大な長方体の建物)を被う布には、コーランの語句が金糸で縫い取りしてありますが、毎年、メッカ巡礼行事終了後に、30センチ幅程度に小割りにされ、イスラム圏各地のモスクなどに送られていくのだそうです。

さらに、アッラーの「言葉」を集めたコーランは、朗誦されるべきもの(=クルアーン=コーラン)として位置付けられ、こちらも音楽的な芸術にまで高められていきました。

が、このコーランを各国語に翻訳することはご法度でした。現在ではさすがに各国語への翻訳は、許可されていますが、あくまで訳本は解釈本にすぎず、コーランそのものではない、という位置付けです。

コーランは神の言葉そのものだから、それを他言語に置き換えることなどはできない、不敬である、とされているようです。


■コーラン検証

すっかりお馴染みになったイスラム教徒のジハード(聖戦)=自爆テロです。

なぜ、あのように武力・暴力を肯定しているのか、を眺めてみます。

イスラム教徒のすべての行動は、「アッラー」が人間マホメットを通して与えたコーランから出てくるのは、間違いないことです。

というのも、「アッラー」の言葉、啓示を受けたマホメットの言動を踏襲することは、イスラム教徒の模範とすべき姿だからです。


そこで、コーランを調べてみました。


日本ムスリム協会  日亜対訳注解聖クルアーン」ホームページにあるコーラン日本語訳を使用させていただきました。

このホームページに付いていた検索機能を使い、コーランの中に出てくる「聖」と「戦」と「努」を検索すると、

「聖」は 65 箇所
「戦」は 89 箇所
「聖戦」は 5 箇所
「努」は 44 箇所  ヒットしました。

「聖戦=ジハード」⇒自爆テロ。元々は、「神の道に奮闘努力する」という意味を表わす動詞だそうです。

コーラン自体は、全7,800語、114章に分かれ、折々にマホメットに下された啓示を並べたもので、体系的に語られたものではなく、ストーリー性もありません。文字量もそんなに多くはありません。

その中で、この「戦う」言葉が本当に頻発しています。不信心者との戦い、多神教徒との戦い、アッラーの道のために戦い、アッラーを認めない者は敵であり、その敵と戦え、自分の弱さと戦い奮闘努力せよ、と

まあ、よく「戦う」経典です。

これを日々学んで、戦わなかったら、むしろいい加減なイスラム教徒だろうと思われます。それが、筆者の素直な感想です。

彼らは、この教えに忠実に、現在でも方々で「戦って」いるわけです。それは、間違いありませんね。

しかも、ジハードで武運つたなくあの世へ行けば、天国に行くことも書いてありました。だから、ジハードが止まないんですね。「行動することは、信仰を正しく実践する」ことでしょうから。


イスラム教徒たちの書いた資料も読みましたが、

彼らは、自分たちが誤解されていると嘆き憤っています。イスラム教徒は平和を求めていると。イスラムの意味は「平和」「帰依」を表わしている宗教だと。

ですが、その「平和」は黙って天から与えられるものではなく、自ら入手するものだと理解してますから、武力、暴力、戦争が絶えません。

彼らの言う「平和」は、俗世の形としての平和ではなく、人々の心の中の平和を指しているものだそうです。

部外者から見ると、そんなに「平和」を求めているなら、なぜ戦争しているのか? というところですね。ここが、水掛け論になり、決定的に見解の分かれるポイントです。

コーランを読んでみて、マホメットという人は、商業に明るく、軍事的才能に秀でた、政治家というような、多面的な人物なんだろうというのがわかります。

日本でいえば、織田信長が「アッラー」から啓示を受けたような、という評価があるのももっともな気がします。

共に、軍事能力が高く、商業センスがあり、次の時代を拓いた政治家です。織田信長の方は比叡山の僧兵を焼き討ちにして物議を醸しましたが..、まあ、その織田信長が「アッラー」から啓示を受けたような感じが、けっこう近いのかもしれませんね。

少なくとも、弱者を救う、といった宗教指導者のイメージではありません。

マホメットがメッカで布教を開始したときに、同族の多神教徒たち=つまりメッカの有力な商人一族たちから攻撃され、一旦、メディナという街に退避して、その後にメッカに攻め上って勝っていることから見ても、(これが最初の聖戦ですね)

砂漠のアラブ人たちの勝ち負けの感覚は、元々他の文明圏よりも激しく、それが通常の姿なのでしょう。

生き物を「殺すな」と仏陀が教えている仏教の文明圏では、仏教徒は殺生をしないようになりますから、これはもう、「戦え」というイスラム圏とは対極にある世界になるはずですね。

こうして眺めてみると、僭越ですが、

@ これしかない! という唯一絶対のアッラーの教えと、
A マホメットに代表される戦闘性の高いアラブの布教方法で、


イスラムの人々が自分たちの首を絞めているのは、確実なようですね。

ここから、21世紀のイスラム過激派が育っているわけです。世間が狭く純粋な青少年が、イスラム原理主義、イスラム過激派、自爆テロへと進むのは、簡単だろうと思えます。純粋な「アッラー」への信仰を行動で表わすには、「ジハード」は甘美な口実です。

ジハード決行を最後に後押しするもの、それは、お金です。

この地域は最貧国地域で年収は1人100ドルに満たないほどです。ジハード者には、1人25,000ドルが家族・遺族に支払われていたそうですが、フセインも、ヨルダンのアンマンに支払い用の特別口座を開いて、イラクの国庫からジハード用資金を供給していたのだそうです。

だから、貧しいほど、ジハードが魅力的に映ります。信仰も大義も立ち、お金も、天国も保証されていますから。

これを乗り越えていくには何が必要になるのでしょうか? この問いは続きます。

来週は、混沌きわまるイスラム政治の基礎を眺めてみます、お楽しみに
 <Rei>

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