

【 イスラムのゆくえ 】
序説
第1部
イスラム国寸描
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」
第2部
文明の概観、経緯、特徴
「イスラム文明拝見」
第3部
文明の盲点
第4部
文明の今後 |
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2004年の年間テーマ【 イスラムのゆくえ 】
複数の視点と切り口から、このイスラムの行方に迫ってみようと思います。
1年を通して読んでいただくと、年間テーマが浮かび上がるように
してみたいと思います。
序説
「ユーラシア異変」
「イスラムとの遭遇」 第1部 イスラム国寸描
1〜3月
「イスラム文明拝見」 第2部 文明の概観、経緯、特徴 5〜6月
? 第3部 文明の盲点 8月〜
? 第4部 文明の今後 10月〜
の括りになるよう書く予定ですが、配信月など変わることも..。
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■イスラムとの遭遇(7) 【2004/03/21】
中華系の生きる道 / シンガポールの貿易商 バックナンバー
駆け足ですが、インドネシア旅行も最終回。
最後に、忘れられない人々の話で華僑に触れてみたいと思います。
今回のインドネシア旅行の話で、「イスラムのゆくえ」第1部は終了です。
「イスラム〜」第2部は、少々お待ちくださいませ。
■中華系の生きる道
バリ島に行くときは訪ねなさい、とインドネシア人から紹介を受けた方の名前は、一見するとインドネシアのヒンドゥー系のもののようにもみえました。
各地を泊まり歩いてバリ島に入り、さっそく訪ねた方は、何と、純然たる中華系のご夫婦で新婚さんでした。何日いてもよいと、客室を1部屋用意してくださって、お宅も広く、敷地内にお手伝いさん家族が住み込んでいる小さな現地の家が建っていました。
かなり裕福で、先月もオーストラリアからの客人が数週間泊まっていたといいます。
立ち居振舞いも、生活様式も、欧米風です。筆者はすっかりリゾート気分です。
2人とも建築設計家で、バリ島の現代建築をほとんど手がけている方々でした。
いまでは、バリには高速道路も走り、世界のリゾート地としてごく当たり前の発展を遂げているようですが、
当時、2人はバリ島の開発計画を練り、手がけている最中でした。テレビ等で、バリ島の繁華街などが映ると、この2人が手がけたものだろうかと、思い出します。
このご夫婦もそうですが、
東南アジアの旅では中華系の人々によくお世話になりました。まず、その土地に行ったら訪ねるように、と紹介されて行くと、だいたいが街の有力者なわけです。
○○○局長の家や、その町の市場に店を持つ商家だったり。
特に、商家は華僑の方々です。
彼らはビジネスで成功してきたわけですから、情報にとても敏感ですし、新しい物や世間の動き、人物などの話を積極的に聞きたがり、客人にもオープンな態度です。
筆者も、この華僑の方々には各地でお世話になりました。
でも、華僑の方々は忠実に華僑の生き方に留まっている方々がほとんどで、インドネシアでも、華僑固有の文化・生活・信条で生きていました。
ところが、バリ島のカップルは、名前もインドネシア風?、バリ風?で、名前だけ見ると華僑系には見えません。
不思議だなと思っていると、インドネシアに帰化して国籍を取ったと言います。生まれも育ちもインドネシアで、ここが母国だから、と。
もちろん、国籍を取る華僑は少数派だろうと思いますが、バリの建築を手がけ、周囲の人々からは頼りになるバンバン(お兄さん=男性を親しみを込めて)と呼ばれていました。
1997年に起きたインドネシアの通貨危機で、通貨のルピアが大暴落して、国が破産状態になり、民衆の不満が一触即発にまで高まったとき、
こうした民衆の不満は中華系企業や商店の打ちこわしに向かうのも、インドネシアのいつもの動きです。
華僑も資本を国外に移動させ、国内の民族財閥も資金をシンガポールへ移動させ、国外に出国しました。彼らのいつもの行動です。
政府からも退去勧告が出され、外国人はほぼ国外に退去してしまいました。筆者の知り合いは、そのとき1人、ジャカルタに残り、ホテルで唯一の外国人兼お客だったそうで、ガランとして気味悪かったとか。
しかし、インドネシアの人々は、誰が結局インドネシアを見捨てなかったのか、を見て、筆者の知り合いを信頼してくれるようになり、ビジネスが回りだしたのだとか。
このニュース報道で、騒然とした首都ジャカルタの様子を見ながら、筆者がやはり、思い出したのは、情熱的でオープンなバリ島の建築家カップルのことでした。資産の手当ては大丈夫だったんだろうか?
いざというとき、資本を国外に避難させて、出国するのかどうか。華僑系の人々がその土地で信頼されるかどうかは、つねにこの1点に掛かっていますし、これが華僑の人々のいつもの大問題です。
世界経済の見地からみたら、何しろ、通貨が大暴落してルピアが紙くずになったわけですから、そんなときにルピアのまま資本を持っている経営者は、間抜けなのも事実。
難しい問題ですね。
一般の人々は、国外に避難させた華僑の資本は、自分たちとの商売で上がった利益だからズルイ、と思うのでしょう。
こう考える思考パターンは、以前ご紹介したマルクスの嫉妬する考え方と根っこは同じなんですね。こう考えて自分たちが豊かになることはないんですが..
こうして、ある意味で、華僑は、国の経済政策のまずさを一身に受ける立場で居続けているようです。
■シンガポールの貿易商
インドネシアに材木の買い付けに来た帰りに、観光ツアーでスマトラ島を回っていた、中華系シンガポール人と知り合いました。
「東南アジアをつぶさに見たいという日本人は珍しい」と気に入ってくださって、シンガポールに来たら普段の姿を見て欲しい、というのです。
その数ヶ月後、ジャカルタからシンガポールに出て、到着ロビーでホテルを探そうとしていると、誰かが近づいてきます。
よくよく見ると、確か、観光ツアーに来ていた中華系の方その人でした。
どうして、連絡してないのに出迎えに来れたんでしょう?
キョトンとしていると、
当時、インドネシアからシンガポールへの飛行便は週1便しかなかったそうで、毎週飛行場に来て見ていたというのです。
数ヶ月、毎週、出国出口に足を運んでくれたのだそうで、本当に恐縮してしまいました。
その方は、とにかく、あるがままのシンガポールを見て欲しい。ここと、ここ、ここはぜひ行くように。と勧めます。
ありがたいのですが、なぜ、そんなに熱心なのかなと思い、話していると、
日本人に良い印象を持っていないのです。シンガポールの中華系を中心に対日感情は良くない人もいると情報として聞いてましたが、どうも彼もそのようなのです。
そこで、ここと、ここ、ここと、見て欲しい箇所を挙げてくれて、高校の先生をしている友人とその説明をしてくださるというのです。
で、行った場所は、すべて戦争関係のところで、「日本占領の屈辱を忘れないよう記念した」ようなところでした。
しまった! もっと歴史を知ってないと..。
その方は、日本人にひと言詫びて欲しかったのでしょう。
ですが、筆者は、シンガポールに入った日本軍がやったこと、やらなかったこと、その評価については、日本の偏向歴史教育で興味を失っていたので、当時まったく情報インプットがありません。
白紙なんです! フゥーン..と聞くだけで、判断しようがありません。外国で、突然「日本軍人」がやったことを聞かされて、コメントしようがないほど知らないことほど、カッコ悪いことってないですよ。
そこで、日本の戦後賠償は終了して、どの国とも未来に対して付き合っていくんだ、と言ってその場を切り抜け、
で、最後に、等身大の東南アジアを見てほしい、そういう日本人とつきあいたい、というオチでその説明は終わり、屋台での楽しいテーブルを囲んだのです。
以後、その方は戦争の話題には一切触れませんでした。
筆者はつくづく、自分の受けた歴史教育がまともではないのを実感して、帰国したら、歴史を学び直そうと思ったわけです。
印象に残る人というと、何番目かに、この中華系シンガポール人を思い出します。彼の日本人嫌いは、少しは良くなっただろうか、ビジネスを通して日本企業とも取引して、様々な日本人と知り合っただろうか、などと。そして、日本人の印象がどう変わったか、聞いてみたくなります。
(Rei)
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