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社会が繁栄するとき 【2002年11月24日】
草の根民主主義 / 「自由」には方向性がある / 「自由」の優先順位
 


■草の根民主主義

America's Most Wanted(アメリカズ モスト ウォンテッド)」というアメリカのテレビ番組があります。わたしはスカパーで見ているのですが、本国でもかなりの人気番組だといいます。

この番組は、指名手配されている犯人とその事件を再現ドラマにして全国ネットで流し、視聴者からの通報を受けながら、警察と協力して犯人を逮捕していくというものです。同名のホームページもあり、そこからでも通報ができます。番組を見た視聴者の通報で逮捕できました、という報告のページもあります。 

警察も、難事件で迷宮入りしたままの事件をこの番組で取り上げてもらえるよう依頼したりしているようです。アメリカは国土が広いので、州外に逃亡すると捕まえにくいでしょうから、こういったテレビと、ネットと、警察、そして市民がうまい形で協力する犯人逮捕のスタイルが、理にかなっているのでしょう。この番組は人気があって、また視聴者からの通報で犯人が逮捕されているところにも、アメリカの草の根的な民主主義らしさを感じます。

最近見たもので印象に残っている事件は、20数年前に、自分の家族(妻、子ども3人)を殺して逃亡した殺人犯(夫)のドラマでした。警察の担当者は、迷宮入り寸前のこの事件を取り上げてくれるよう番組に依頼しました。番組側は、20数年前の犯人の写真を元に現在の犯人像をつくって視聴者に見せることが、犯人逮捕の決め手になるとして、犯罪捜査分野のプロに依頼しました。それは、粘土などで肉体的な肉付けを表現するプロと、犯罪者の思考、日常生活、職業、服装、趣味、結婚生活などを推理分析するプロでした。

番組では、20数年前の事件、当時のフィルム、親族や関係者の話しが語られ、2人のプロの打ち合せの経過や20数年後の犯人像、そして、20数年後の現在、しているだろうと思われる暮らしぶりなど、がストーリー仕立てで流れました。この番組を見ていた1市民からの通報で、その夫は逮捕されたのですが、犯人像は、プロの仕上げた犯人像とうりふたつといっていいほどよく似ていました。メガネをかけているなら、こんなフチのこんなメガネと言っていた、まさにそのメガネをしているという具合でした。そして、職業も、週末の過ごし方も、再婚した家庭も、予想どおりでした。

へたな推理ドラマは見る気がしなくなるほどです。この番組の司会者、ジョン・ウォルシュさんは、やはり事件に巻き込まれて家族を亡くす経験をしており、犯罪撲滅に貢献したいと、こうした番組の企画を持ちこんだようなのです。こういった企画を通したテレビ局もすごいですが、警察もヘンなメンツにこだわらずに広く情報を得て逮捕できますし、視聴者も「通報する」というストレスも少なく番組に参加する醍醐味を味わえるという、すごい番組が誕生したというわけです。

良くも悪くもオープンな社会といわれるアメリカらしい番組ではないでしょうか。アメリカの「民主主義」というのは、「皆の衆主義」のことだ、と指摘しておられるのは渡部昇一教授ですが、警察主導でもなく、政治が介入するのでもなく、1営利企業のテレビ局の番組として、こうした企画を通せるところに、1人1人が自分の立場で、社会を健全に発展させるためにできることをしていくという、自由な意志の発露を感じます。

この「自由」ですが、普通「民主主義」と一対で語られることがほとんどです。その国に民主主義があるかどうかは、その国の人々の自由度を見ればいい、また、自由が本当にあるかどうかは、民主主義が根づいているかどうかを見ればいい、といえるかもしれませんね。


■「自由」には方向がある

「自由」というと、確かにあらゆる制限がないことですが、何をやってもいい、と誤解して、他の人々を傷つけたりするマスコミ・メディアもあります。また、自由を誤解して堕落していく人もいます。それを「堕落する自由」と呼ぶのかどうかですが、わたしは人間としての「退化」なのではないかと思います。

この「自由」には、人の道に外れない中で行使するという大きなワクがはめられています。それに触れる場合には、自分でも後悔したり、また人からは非難されたり、人々の尊敬を失ったりします。さらに法に触れれば処罰されてしまいます。こうしてみると、「自由」には、どうやらある方向性が与えられているのだなと気づかされるわけです。

人間性を高め、社会を高め、調和させ発展させていく、という方向にこの「自由」を使っていくということを、わたしたち人間は無限に期待されているといってもいいと思います。そして、自由には限度がないように、わたしたちも無限にこの自由を発揮していって良いのだと思います。

ギリシャ時代の直接民主主義の発祥を見ても、自由意志を持つ市民が集まり、その話し合いと投票でものごとを決めていたとあります。民主主義のベースには、社会に健全な倫理が機能していて、良識ある、高い知性を持つ人々が大量にいること、がポイントになるようです。この民主主義のベースにある社会の倫理が崩れていくと、その社会の民主主義も連動して衰退していくわけです。なぜ倫理観が崩れるかといえば、倫理の基礎となる宗教が衰退しているからだといえそうです。


■「自由」の優先順位

このように、「自由」は、わたしたちの根源に根ざしたものではありますが、実は、古代から誰でも手にしていたものではありません。歴史的にも、かなりの犠牲をはらいながら、長い時間をかけて人間に不可欠なものとして認められてきた経緯があります。マスコミ・メディアが御旗にする「言論の自由」や「表現の自由」も、日本では100年ほど前に自由民権運動をしていたほどです。自由にモノを言っても逮捕されない権利が常識になって、まだ500年も1000年も経つものではありません。

また、「自由」といえば、その重要さから「言論の自由」と「信教の自由」が上げられますが、歴史を見ると、まず、「信教の自由」を勝ちとっています。異端裁判にかけられることなく、自らの信ずる信仰を表明する自由を勝ち取りました。それは新教徒による大陸移民へと発展していき、アメリカという国が誕生することにもなりました。「言論の自由」はその後なのです。この順序は、もっと注目されてよいと思われます。

社会の倫理を形成するすぐれた宗教があるとき、その社会の民主主義は大いに発展して、国も栄えるといわれますが、ギリシャの直接民主主義が栄えたその時期、ギリシャの人々はギリシャの神々を信じていました。また、時代が下って、アメリカも、新教徒による新しい国づくりに人々は燃えたわけです。

この辺りの事情を、マスコミ・メディア人はもっと知っていただきたい、そして、言論の自由を行使していただきたいものですね。ちょっと、お説教になりました。(^x^);
 (Rei)

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