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■日本人のクセ 【2003年11月9日】
一律 / 判断の基準 / ポリティカル・コレクト
■一律
ものごとを、一律に線引きして決めてしまうのは、日本人がよくやる方法
です。
つい最近では、国会議員の活動に定年制をつけて、「老害」をなくそうと
一律に年齢を決めてしまいました。
じゃあ、高齢になっても一定の見識をもって活動する2名の有力議員をど
う処遇するのか、議論は割れ、例外なしに定年制を敷く方法で押し切られ
た形です。
こういった進め方は、ほかでもみられます。
銀行では事業者に資金を貸し出すときに担保を取りますが、いままでずー
っと、一律に土地を担保にしてきました。他のものを担保にしても良さそ
うなものですが、なぜか、どの銀行も担保は土地なんですね。
ですから、だいたい、事業をする人は担保にできる「土地持ち」でないと
、銀行から資金を調達できないのが、日本の実態でした。
日本の起業家がうまく育たないのは、こうした理由で銀行からの資金調達
が難しいからだとも言われています。
そんな折に起きた、90年代のバブルたたき政策も、一律に国民の不動産取
引の件数を決めてしまう、というものでした。
その結果、過熱ぎみの土地の値段を適正に抑えようとした日銀などの思惑
は外れてしまい、地価は下落してしまいました。
そのとき銀行から土地を担保に借金していた人々は、土地の値段が下がり
すぎたために担保価値もなくなり、銀行から担保価値を補填するか、借金
を返してくれと言われました。
でも、それ以上の土地がない人は担保の補填ができません。担保になって
いる土地を売って借金を清算しようとしても、すでに地価が下落している
ために、借金も清算できないという「不良債権」問題が出てしまいました。
こうした、日本人の「一律に線引きする」クセは、実は、いろんなところ
で弊害を引き起こしているのだと思います。
■判断の基準
今回の国会議員の定年制は、「老害」を除きたい、というところに眼目が
あると思います。
政治家でも、サラリーマンでも、主婦でも、商店主でも、教師でも、
その人がいつまで現役で活躍できる人かは、実は、1人1人まちまちなわけ
です。
人間は、その個人差、能力差が非常に大きく、実際は一律では決められな
いのがほとんどだと思います。
もうすでに定年状態に入っている人が、本人は耐用年数が切れているのに
気づかずに居座るから「老害」と言われるわけですね。
また逆に、高齢になってからも情熱的に仕事を成し遂げる人々も各分野に
います。
なぜ、一律に線引きしてしまうのかですが、
結局、その中身の判定がむずかしくて、できないので、手っ取り早く誰に
でもわかる基準でやろうとするからだと思います。
これは、何を判断するかがわかっていないこと、判断するのに必要な認識
力やノウハウもないことが原因だと思います。少なくとも、社会全体の中
にその合意がない状態だと思います。
結局、裏を返せば「老害」を自分で判定できない理由でもあると思います。
政治家を例に出してみますが、
その政治家が定年を迎えているかどうかは、
その見識、影響力=政治力、がその国の政治を牽引するのにふさわしいか
どうか、その実績を判断することではないでしょうか。肉体年齢は、判断
の基準の中心にはならないと思います。
判定するには、国民の側にも、政治的な見識を持つ必要がでてきます。単
なる、批判や好き嫌いでは済まない問題だと思います。
銀行の担保でいえば、
銀行がその企業に資金を貸し出す基準は、担保になる土地さえあれば、誰
にでも、どんな反社会的な事業にでも、その地価と同額の資金を一律に貸
し出すのではなくて、
その事業主の人物や事業計画の将来性、収益性、公益性などなどの中身を
判断して貸し出すというのが、本筋だと思います。
結局、この事業の中身、判断する認識力もノウハウもないので、
誰にでも、考えなくても、見ればすぐわかる「土地」というもので銀行は
換算しようとしてきたわけです。
こうした、日本人の「一律のクセ」は、かなり根深いものがありそうで、
筆者は、つい、神社のトリイを思い浮かべてしまいます。
屋根はあるけれども、中身がない、中はスカスカな状態...これは、民
族的な考え方のパターンを象徴しているのかもしれませんね。
■ポリティカル・コレクト
ある米系の外資系企業の仕事に参加したとき、そのプロジェクトに新たに
アルバイトが入ることになったことがあります。
そのとき、日本人社員のプロジェクト・マネージャーは、アルバイト候補
者の名前とスキル、面接日だけを知らされてぼやいていました。
年齢、人種、性別、家族構成、などの個人データがないために、いったい
どんな人が面接にくるのか、事前に確認できない。会ってみないとどんな
人が来るのかわからないからです。
その人の技能やスキルを判断して、他の条件を採用不採用の理由にしない
、というこうした評価スタイルは、日本ではまだまだなじみが薄いと思い
ます。
人種による差別、性別による差別、年齢による差別、未婚既婚による差別
などなど、
アメリカでは建国以来の歴史的な黒人差別の問題を抱えているため、差別
問題をどう克服するかについては、200年間、七転八倒しながら社会全体で
の取り組みをしてきています。
いまでは、軍隊に女性兵士がいたり、同性愛者どうしの結婚までを認めた
り、ちょっとトンチンカンな感じもしますが、
あらゆる「差別」に敏感に反応するところが、特にアメリカ社会にはある
と思います。
ですから、人を雇うときも、求職者の年齢、人種、性別、家族構成、など
の個人的な条件を持ち出さないのが、企業側の進め方です。「その人の技
能やスキルで判断する」ことが、社会のなかの合意となっています。また
、そうあろうと努力している社会です。
だから、転職しやすい社会なんですね。技能・スキルの評価が明確ですか
ら。
なので、面接のふたを開けてみたら、ものすごーい老人やキテレツな変人
がやって来てドタバタする、といったパロディがTVでもよく出てきます。
自分の言動が他人を何か「差別」していないかをとても気にして、いまの
は「ポリティカル・コレクトか?(=政治的に正しい態度か?)」などと
、家族や周囲の人に聞いたりする人も多いのでしょうね。
「ポリティカル・インコレクト?」といった題名のパロディ本も出版され
ているぐらいです。
ですから、今回の日本の政治家の定年制も「ポリティカル・コレクト?.
.インコレクト?」の観点から議論されてもいいテーマなのかもしれませ
んね。 <Rei>
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