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いつもと違った視点を発見!
透明なこころでモノゴトを眺めると何が見えてくるか..
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■戦争を語る別の切り口 【2002年8月18日】
靖国代替慰霊施設論議
靖国代替慰霊施設論議が空中分解するのは、当然ではないでしょうか。
8月といえば恒例の靖国問題。今年は何かと思ったら、靖国代替慰霊施設をつくろうという論議が宙に浮いているといいます。人さまざまな意見はありますが、ちょっと冷静に考えてみたい。
私は、自分の国や軍人を尊敬できない国民のいる国は滅ぶと考える者です。少なくとも、自国に誇りを持たない人や国が、国際社会で信頼され尊敬されることはないからです。
人と人、国と国との利害の対立は、歴史の続く限りなくならない人類のテーマです。それが、話し合いや外交等の穏やかな政治手法で解決できるときもあり、軍事的な衝突という突出した政治手法を使わざるをえないときもありえる。そういうものだと考えています。
そうした目で見れば、「戦争は全ていけない」という考え方は出てきません。
この世の中のものごとを見ていれば、一方的に片方が悪いことなどまずないと分かるようになるものです。戦争は、その当事国それぞれに戦争する正当な理由があるのであって、片方だけの論理が全て正しいということにはならないことが多いものです。だからこそ、戦争にまで発展してしまうともいえると思います。
戦争は、正義と悪の戦いではなくて、その時点での正義と正義がぶつかり合うもの。
だから、戦争に勝った国の論理のみが正しいか、というとそういうものでもありません。実際のところは、負けた国の論理や主張は負けた時点で通らなくなるので、一見ダメなように見えますが、時間を経るごとに歴史的な揺り戻しが始まっていきます。この歴史のダイナミズムを含めて、戦争を考えたいと思います。
すべて、この世界のものごとは、原因結果の法則によって成り立っており、これが、歴史という大河の織り成す醍醐味というべきものだったりするのではないでしょうか。
植民地から独立して成功している国を見ると、軍人は善い意味でプライドを持ち、国民からも尊敬を受けることが多い。軍人という人々は、自分を超えた国という他者に生命を捧げる人々であって、一朝ことが起これば身を艇すして尽くします。一般の国民が自分の人生を設計するときには、どの会社に入って、この仕事を磨いて、老後は余暇を、というように自分と家族の人生の成功を考えてよいのですが、彼らは基本的にそうではありません。
そうした軍人という生き方をする方々、せざるを得なかった方々は、己の命を捨て国に尽くす生き方をするからこそ、せざるを得なかったからこそ、国民からも尊敬される存在なのだと思います。
遅ればせながら、この重みを私が実感したのは、実はオウムが起こしたサリン事件のときでした。あれはホントーにコワかった、市街戦だと思いました。
一朝ことが起こったときに身を艇す方々がいてくださって、はじめて穏やかな日常生活が営まれるという、ごく当たり前のことが分かるようになりました。誰がすきこのんで、サリンの拡散する地下鉄に救助に入るでしょうか。山梨のオウムの本部ビルに入るでしょうか。
改めて気がついて、私はかなり恥ずかしい思いがしました。そして、警察官や自衛隊、靖国神社等を軽んじる傾向で生きてきたこの数十年は、いったい誰から教わったものかと、つくづく振り返ってもみるようになりました。
130年ほど前には、日本を開国し封建制から近代国家への社会変革をなそうと、多くの若者が身を捨てて立ち上がり、散っていった時代がありました。
明治維新後の1869年(明治2年)、国づくりのために命を捧げた方々の霊を慰めるべく、明治天皇の勅命で創建されたのが、靖国神社の前身、東京招魂社であり、明治12年に改称し、国内での戦い、外国との戦いで命を捧げた方々、246万余柱以上を現在祭っているといいます。
その民族にはその民族に殉じた人々の歴史があり、それが連綿と現代まで繋がっているものです。だからこそ、どの国でも、殉じた父祖の霊に敬意を払い、また慰めようと象徴的な施設をつくり、安らかなれと祈ります。日本なら靖国神社、アメリカならアーリントンの墓地、他の国も同様で、植民地から独立した国では、独立記念碑のそばに墓地がたいていあるように思います。
日本は50年前に戦争に負けましたが、だからといって日本軍の全てを否定し、軽んじ、近隣諸国にいまだに謝り続ける態度は、一般人から見ていても片寄っているように思えます。
関係国との講和条約も結び、戦争賠償も済んでいるのですから、それ以後過去を問わないのは国際政治上のルールであり、常識です。関係国がねじ込んできたら、その事実を明るく伝え、前向きにつきあおう、と言えばすむ話しだと思います。それが、大人のつきあいだと。
なにか、いじめられっ子に入れ智慧しているような気分がしてきました。
靖国代替慰霊施設を作るという主旨も、近隣国が靖国参拝を非難してきて政治問題になるから、靖国以外のものを造ろうといった安直な態度が見え隠れしているように見えます。
靖国神社の正当性に横槍を入れる人々には、どの民族にも、勝っても負けても自国の戦いに命を捧げた方々を祭る権利と義務があること。靖国神社建立の歴史を伝えたい。
靖国代替慰霊施設論議が空中分解するのは、当然ではないでしょうか。<Rei>
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