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■国の成熟度 【2004年11月29日】
民主主義の世紀 / 江戸時代の意味
全世界から、ウクライナの去就が注目を浴びています。
ウクライナの人びとにとっては、国の進路を2分する歴史的瞬間です。
なかなかピンとこない、遠いウクライナですが、
先のアメリカ大統領選挙と比べて、「民主」「自由」「選挙」「三権分立」がどのように機能するものかを眺めるカッコウの例となっています。おつきあいくださいませ。
■民主主義の世紀
それにつけても、つくづくと、21世紀は「民主主義」「自由」「選挙」の実現が当然のように人びとから要求されていく世紀なんだな、と思わされる、ウクライナの政変です。
日本のマスコミによっては、またウクライナが旧ソ連型=強権型の政治体制に逆戻りするのではないか、つまり、民主主義が後退するのではないか、といった観測も出ているようです。
中央アジアの旧ソ連から独立した各イスラム少国が、強権型=つまり限りなく独裁に近い形の政体になっているため、ウクライナも退行するのではないか、という予想が出ているわけです。
実際に東西分裂まで今回行くのかや、東西分裂は単なる与党の政治駆け引きに過ぎないのか。法的拘束力のない「選挙無効」決議が議会で行われたり、また選挙管理委員会の罷免や再選挙日程、EU側の仲介など、予断を許さない状態です。(2004年11月28日現在)
野党候補が、顔面が変わるほどの原因不明の病気にかかり、政敵に毒を盛られたのではないかと検査を受けたり、不在者投票制度を悪用した不正選挙の様子や投票強要が行われたなど、など。
あまりにも、あからさまなものなので、日本の常識では考えられませんから、驚いてしまいます。
人びとの自由意志を政治に反映するには、現在のところ、この「選挙」という民意を表明する手法が一番公平だとされているのが、現在の地球という世界です。
ですから、
この「選挙」が滞りなく、つつがなく実施できるかどうかで、その国の政治の成熟度がわかり、民主主義がどれほど根付いているか、が端的にわかってしまうわけです。
ウクライナは、今、この段階にあるわけです。
ウクライナの最高裁判所が今回の選挙を無効と結論付けたのをみると、独裁や不正を阻止して民主主義政治を担保する機能としての「三権分立」がまだ働いているようですね。
今後、再選挙がどのような形で行われるのか、民意が正常に選挙に反映されるのか、ウクライナ国民の目はもちろん、全世界の目が注がれているわけです。
こういった、きわどい状況ではありますが
旧ソ連時代と決定的に違う点があります。
それは、この混乱した議会の様子や選挙無効決議の様子、再選挙へ持ち込もうとする議員の話し合いの様子などを、ウクライナ議会内に設置されたカメラから世界の人々がTV画面を通して同時に見られることです。
こういった情報開示は、旧ソ連時代には決してなかったことです。
今回の政変要求にまで到った経緯は褒められたことではありませんが、すぐにカメラが議会内に入って世界中に経過が映し出されて、CNNを通じて世界にニュースとして供給されているということは、
ウクライナ議会も、情報公開を良しとしてCNNに放映を許可しているわけで、何が行われているかをオープンにしているわけで、彼らの強い強い「自由化」「民主化」への意思がこんなところにも現れているのを感じます。
広場に集った住民の様子も、歌あり、踊りあり、で、自由意志を出せる喜びと期待感が出ています。
そういった点からみても、ウクライナが旧ソ連型政治に戻ることはないと思われるのです。
「民主化」の行程も、我々から見れば一歩前進二歩後退といった歩みに見えますが、元々、旧ソ連陣営に入ったほどの地域ですから、ふり幅はとても大きい人びとなのでしょうね。
政治的にも、ひとつひとつ、経験しながら、暴力や専制で解決するのではなく議会内での話し合いを重ねて、合意していく方法を学んでいるところですね。
民主主義は、なんとも、そういった意味では合意するまで時間がかかる方法なんですね。合意するまでは紆余曲折するということが、民主主義政治には織り込まれていますから。
筆者は、CNNのウクライナ議会の実況中継にくぎ付けです。
なんという、エキサイティングで、便利な時代になったものでしょうか。
これと同様に、イラクでの選挙もオープンに行われてCNNのTV画面で見てみたいものだと思いますね。
イラクは、初めての「普通選挙」がとどこおりなく実施できてるかどうか、という段階です。
「選挙」するには、選ぶ政党や候補、政策、行政、選挙管理委員会などなど、民主主義政治の枠組みが決まっている必要があります。
今は、2005年1月末の選挙延期を訴える弱小部族=政党もどきなどの動きが出ているようです。これも、今のままでは既存政党に勝てない勢力が治安悪化を理由に時間稼ぎをしているようにも取れます。
民主主義は、いろんな思惑が絡んでくるので、ほんとに時間がかかりますね。
しかし、この21世紀は、人びとの自由意志を尊重して政治にいかに反映するかです。つまり、人びとの意識より政治家や政治手法が立ち遅れていれば政変になるということです。
政治家が意識を変え、政治手法をもっともっと公正でオープンなものにしていく変革が求められています。
■江戸時代の意味
今回のウクライナや、イラク、パレスチナ、それに先のアメリカの政治を眺めると、日本の政治に思いが到ります。
つい20年前ほどまでは、日本の政治家も、議会で相手議員とつかみあいの喧嘩をして法案を通していました。
何とも子どもじみているのですが、
お互いに妥協と譲歩をすることになり、話し合いで合意できないと、ついつい、エキサイトして人間お互いに手が出てしまうのでしょうね。
この「政治」を担当する人びとですが、
政治家の武器は、「政策」とそれを表現する「言葉」です。
国家のビジョンや政策を国民にわかりやすい「言葉」で説明し、納得してもらい、信任を得るわけです。そして、この「言葉」を武器に政敵と国会で論戦をしたり、政策としてまとめていくわけです。
このスタイルが定着するのは、話し合いによる政策決定が行われる「民主主義」時代のものです。
それ以前はどうだったでしょう。
歴史をみれば、朝廷政治のあとは武家政治が明治に変わるまで続いているわけです。
鎌倉、室町、戦国時代...そして関が原で決着がつくまで、絶えず武力でもって政治的な最終決着をつけてきていました。
政治は、刀と武力をもってチャンチャンバラバラとやっていたわけです。
それが、
江戸時代に入ると、一変してしまいます。
それまでの武力行使が、家康によって一切の政治の表舞台で禁止されてしまうのです。
江戸城の中では、刀は10センチほども鞘から出せば、切腹ものの処罰を受けています。
これは、
当時の政治を担当していた武士たちにしてみれば、一番得意な武力を政治に使えなくなったわけですから、大変なプレッシャーです。
武力の替わりに、強制的に話し合いでモノゴト全てを決めていかざるを得なくなったわけです。
こうして、江戸時代300年を通して、イクサ上手で権力を振るった武将たちは近代的な、言葉で相手を説得する「政治家」へと変貌していったわけです。
武士の刀を使った鍛錬は、あくまでも自己修養を第一義とするものとなっていきます。
ですから、
日本の政治家の質的な変化は、この江戸時代の300年間(9世代)で行われたと言っていいと思われるのです。
その意味でも、300年間の鎖国は、武将を日本の近代政治家や官僚に変えていくインキュベーターの役割を果たしたと言えるのではないでしょうか。
政治の変化は、つまり、政治家の変化が要請されるということです。
逆にいえば、
武力に訴えて解決する政治の思考方法を捨てるのに、日本では300年間掛かっているわけです。
そういうふうに眺めてみると、
イラクといい、パレスチナといい、イスラム圏のもともと好戦的な政治家が武力を政治から消しこむまでに、かなりの時間がかかることが分ってきます。
半分冗談ですが、彼らから全ての武器を取り上げて、一ヶ所に隔離して、話し合いで全てを取り決めるようにプレッシャーをかけたら、何年ぐらいでできるようになるものでしょうか。
イスラム圏やウクライナ、それから中国、アフリカなどなど、これから民主主義政治を担う各国の政治家たちが試されているのは、武力行使なしに国民の意思を政治にどう反映していけるのかなのだということですね。
来週12月は、「イスラムのゆくえ」第4部、「文明の今後」をお送りします、お楽しみに <Rei>
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