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■これはホント?:
「軍部が暴走して戦争に突入した」
【2003年9月28日】 当時の雰囲気 / 民意 / 軍部大臣のイス / ひとつ大人になった日本の民主主義
■当時の雰囲気
日本がなぜ、他国にまで出て行って戦争したのか?占領史観で見ると、特に、ここが今ひとつ分かりません。
ということは、マッカーサー以下のアメリカも、日本の戦前の動きを、朝鮮戦争が起きるまでは深く理解できなかったと見ていいのではないでしょうか。
なので、元々日本人は侵略性が高く、残虐な民族なんだ..と、そして軍部が暴走してしまって、他国を侵略して、他国の人々にひどいことをした..と、つじつまを合わせていきます。
「占領史観」と「自虐史観」はこうして、背中合わせになっています。
明治以来、日本人が作り上げた議会制民主主義は大正時代には大正デモクラシーとして花開いていて、その民主主義は現在の私たちの民主主義と、そんなに大きく違わないものです。
民主主義ですから、言論の自由があって、人々が自分たちの代表を選挙で選んで、いろんな課題を議論して、法律に作って、政策を実行していました。
成年男性の普通選挙も達成して、次に成年女性の選挙権も議題に上がっている状況でした。女性に選挙権がないのは、戦争に行かない人々=守られるべき人々だからで、国を守る義務のある男性には等しく選挙権を与える、というものでした。
この考え方は、スイスなんかも同じでした。兵役のある者に選挙権を持たせるのは。
ですから、各地で政策についての弁論集会が持たれて、話の内容や説得力があるかどうか、テレビもない時代ですから、話し合いは活発だったそうですよ。政権の交代も武力ではなく議論を戦わせて、優劣を決めていたわけで、民主主義が草の根レベルで浸透していたと思われます。
この民主主義から、どうやって軍部独走が出てくるのか、ですね。
■ 民意
あの大正デモクラシー当時ですから、国民の意思を一切無視して、軍部が一存でいきなり独走できたわけがありません。
そこにあるのは、民主主義の政治の基本になる「民意」というものが反映された政治なんです。
ちょっと説明しますと、
ここ最近、北朝鮮の拉致が明るみに出て、一般の日本人は怒り、北朝鮮の顔色をみる新聞は印刷部数が減り、世論も変わりました。国民を守れない政府とは何か?
対策が手ぬるいと、見ています。
北朝鮮から裏金や美女接待をうけた議員には、次の選挙で投票したくないのが大多数でしょう。
船の検査に合格したら、以前同様フリーパスで入ってくるじゃないか。万景峰号の入港を阻止する法律がないのは、不備じゃないか?
などなど..
いま、北朝鮮に対する日本の「民意」は、ここにあります。
これが一例ですが、その時代、そのときどきの「民意」は、たいていある出来事をきっかけに大きく動きます。
これと同じようなことが、昭和始めに起こったとみていいと思います。
それは、朝鮮半島や中国内陸部奥に開拓に入った日本の民間人が現地の人間に殺される事件の頻発です。開拓村の皆殺し、男性は惨殺、女性は陵辱のうえ惨殺というような激しいものです。
これで、日本の「民意」は激高します。当時の政治外交では、手ぬるいと。
「日本人開拓民を守れ!」 と世論は動いて、日本軍の一部が派遣されていったようですね。このとき、軍の撤収の目処があれば、違っていたんでしょうね。
当時の中国は各地の群雄が勝手にのさばっている状態で治安が悪いですから、一旦軍が派遣されたら、引き上げるのは難しかったでしょう。あとは、次から次へと事件が起こっていき、抜き差しならない状況になっていきます。
いろいろなものを読んでみての感想ですが、
「民意」という国民の願いが、やはり、ベースにあって、政治が進んでいき、その間の対応のまずさが積み重なって、戦争にまで入っていったと思われます。
「軍部独裁政治で独走したから、人々は大変な思いをした」というのは、先にも書きましたが、国と国民を対立させて考える左翼系の考え方の影響があり、的を射ていないと思います。
一方的に政治や軍が悪いことはなくて、民主主義ですから、やはり、半分責任逃れの感じがします。もしくは、その因果関係が見えていないと思います。
■軍部大臣のイス
軍部独走を止められなくなった理由のひとつに、一つの法律があります。専門家が指摘していますが、軍部大臣現役武官制度です。
当時、内閣をつくるときには現役の軍人を1名入閣させて大臣にしなければならない、という規定がありました。1900年に制定され、一旦廃止された後、再度導入されます。これは、けっこうな禍のタネですね。
各国との関係が平和で事件がない時代ならいいのでしょうが、
あの、風雲急を告げる混沌とした時代です。中国等への軍拡を支持しない政治家が首班指名を受けて、いざ組閣しようとしても、軍から1名現役の軍人を入閣させないと内閣ができないということになったわけです。
これで、以後何回も内閣がつぶれ、組閣できず、軍の発言力が強まっていくことになりました。
軍の意向を認めない政治家が総理大臣として立つと、軍は軍部大臣のイスに送り出す人物を出さなかったからです。
ですから、戦前の日本の政治が明治以降「軍事独裁政権」だったのではなくて、軍部が大臣のイス1つをてこに、馴れない政治に踏み込んで、失敗したと見た方が分かりやすいと思われます。
■ ひとつ大人になった日本の民主主義
こうした経過をみると、軍部が前面に出た戦前の一時期さえも含めて、一貫して日本は民主主義の枠内にあって、歩いてきたんだな、と感じます。
いま、日本人で、政治を軍人に任せたいと考える人はいないのではないでしょうか。
汚職やら、二世議員やら、族議員やら、地元への利益誘導やら、地方自治やら、いろいろ批判のある日本の民主主義の政治ですが、軍人に政治参加させるというオプションは2度とないと思います。懲りましたから。
これが、数百万人の犠牲者を出しながら、先の戦争で日本人が掴んだ、民主主義政治の教訓ではないでしょうか。
その意味でも、日本の民主主義は100年を過ぎて、確実にひとつ大人になっていると思います。
「これはホント?」シリーズで見てきた、戦後史観解説は終了です。来週は、新しいテーマです、お楽しみに <Rei>
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