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これはホント?:
 
「アメリカが持ち込んだ日本の民主主義」

【2003年9月07日】

大人の日本史 / 戦後のはじまり / ポツダム宣言第10項

■大人の日本史

前回までのコラム「教育のグランドデザイン」にいただいた様々なメールを眺めていて、明治以来の歴史評価に、多くの方がとまどっていらっしゃるんだなあ、と感じました。

ほんとに、戦後教育のツケの大きいこと。

なので、ちょっと、明治以降の日本がどういう歴史を歩いてきたのかを見てみようと思います。

戦後教育を受けた方々はほとんど、明治以降の日本の近代史・現代史をまともに学んでいないのではないでしょうか。

占領軍の見方、その見方を引き継いだ左翼&日教組、左傾マスコミ、学者の見方で、明治から戦前までの日本を暗黒だったと習っているからです。

戦後教育を受けて先生になった方は、日本の近代史・現代史をどう位置付けたらいいのか分からないでしょうし、生徒に自信をもって教えようがないと思います。

ちなみに、筆者が習った高校の日本史の先生はいい方でしたが、大正時代から現代までを「近代・現代史はいろいろ難しい、読んでおくように」といい、3学期の学校行事に変更したりしてすっ飛ばしました。

その後、筆者はハタチごろに東南アジアを回った際に、行く先々で??と!!を味わい、
日本での通念とチガウことに気づいて日本史を勉強し直すきっかけとなりました。

今回、感想をくださった読者さんの多くが、成人してから自分なりに歴史を勉強し直している経過を書かれていて、とても面白かったです。やっぱり、みんな、そうなんだな、というところです。

ここでは、戦後教育で叩き込まれている見方のひとつ、

●「戦前の日本は暗黒の軍国主義で、アメリカが戦後に民主主義を導入した」

これを眺めてみようと思います。



■ 戦後のはじまり

よく、「戦後日本」と言われますが、どんなふうに始まったのでしょう?

まず、日本はポツダム宣言を受諾して、降伏しました。

8月10日の天皇の御前会議でポツダム宣言受諾による降伏を決定してから、5日目にあたる8月14日に宣言を受諾、翌15日に国民に告知。これは、広島の原爆から9日目、ソ連参戦から6日目にあたります。

この5日間で、政府は連合国側とやり取りをして、「無事に」降伏しています。負けるのもけっこう外交力がいりますが、降伏を決めた後は、1分も時間を無駄にはしていなかったようです。

敗戦後の日本民族と国家がどうなるか、が政府関係者の唯一のテーマだったわけです。当時の政府は民族と国家の命運について、可能な限りの働きをしていたと思われます。

ドイツの独裁政権とは、そこがまったく違っています。ドイツは、ヒトラーが愛人と自殺してしまい、自国民とその将来に責任をもって戦争を終わらせることもしていません。

降伏しようにも、降伏する政府が機能していなかったので、ドイツは文字通り、連合国側に踏み込まれて、「完全に無条件降伏」するという最悪のパターンになりました。

日本のポツダム宣言受諾ですが、これは日本側の意向でしたが、アメリカは日本にドイツと同様の完全な「無条件降伏」を目論んでいたでしょうから、5日間で「宣言受諾」に持ち込んだのは、成果だったのだと思われます。

日本の敗戦を、いまでも「無条件降伏した」と言う人がいるのは、占領軍側の影響が残っているのかもしれませんね。

先のイラクも、フセインをはじめ政権担当者がちりぢりに逃げてしまい、負け戦まで引き起こした政治の責任を取っていません。

アメリカとの戦争に負けたと認める政府がなく、ただ、負けたという事実があるだけです。

ウダイ、クサイの息子も親族が30億ドルで密告してしまいアメリカ軍に射殺され、これでは、イラク人として誇りを持ちようがない戦争の終わり方だと思います。フセインや前政権担当者をつるし上げることもできず、イラクの人々の膨らんだ不満はアメリカ軍へ向けるしかない状況でしょうね。

さて、日本はポツダム宣言を受諾したため、この13項目にわたるポツダム宣言を誠実に履行することから日本の戦後が始まっています。

このポツダム宣言の中に、日本軍の完全武装解除を求める項目があり、これをすぐに整然と行っています。国内の治安も乱れなかったようです、というかみんな呆然としていたのでは。

この日本軍の武装解除ですが、中国本土と、満州(現中国東北部)では明暗を分けてしまいました。

ポツダム宣言という国際条約を履行して武装解除した日本軍は国際軍事法に則って連合国側に処遇される、と日本は考えました。

で、満州にいた日本軍は、民間の日本人がまだ引き上げる前に、さっそく武装解除しました。これが命取りとなったようです。

ソ連は日露戦争での仕返しも働いたんでしょうね、条約を守らず、実際は、満州にいた日本人たちは命からがら朝鮮半島を南下しつつ逃げまどうことになり、ソ連軍に多くの日本人や元兵士がシベリアへ連行されて、強制労働させられるという事態となりました。

シベリア抑留は、ソ連の参戦と日本の敗戦、武装解除と引き上げ、などの混乱の中で起こっていて資料がなく、全体像など実態の多くがいまでも不明のままです。

一方、中国本土にいた日本軍は、まず民間の日本人を守りつつ引き上げさせてから、軍隊を一箇所に集めて武装解除して、すぐ日本に引き上げてきていて、上手くいっているようです。

こうしてみても、負けた後の撤収にも軍事力がモノをいうものなんですね。満州では撤退戦略を間違ったというか、ソ連を信用しすぎたというか、初めて負けたので撤収の仕方を知らなかったというか..。


■ポツダム宣言第10項

13項目あるポツダム宣言の中の10項目に、「日本政府は、日本国民の間にある民主主義的傾向の復活に対する一切の障害を除去すべし、〜(以下略)」とあります。

連合国側は、日本の政治体制として戦前に民主主義が行われていたことを知っていたことになります。

この辺の事情を、外交の専門家・岡崎久彦さんが「どこで日本人の歴史観は歪んだのか:海竜社刊」で書いておられます。

少なくとも、ポツダム宣言を書いた人、関わった政治家、政治官僚たちは、戦争前の日本に十分な民主主義が機能していたことを知っているから書いていると思います。

それで、戦後はその民主主義体制に「戻しなさい」、と日本に要求しています。

この、「復活」する政治というのは、日本が大陸との戦争に入っていく前の大正デモクラシー時代のことです。

そして、また、戦後すぐの日本政府も、挙国一致の戦時体制からが戻るべき政治体制は、大正デモクラシー時代の民主主義だと、その当時の政治家はみなそういう認識でいたのだそうです。

政府はさっそく、敗戦から4ヵ月後の昭和20年12月に、戦時体制以前の時代から懸案だった、女性の参政権や土地の開放を行います。

これも、占領軍の強制で行ったものではなくて、大正時代から議題に昇っていた案件で、けっこう議論も交わされていたのですが、戦争が大きくなってそれどころではなくなり、棚上げされていた案件のようですね。

ただ、当時は占領下ですから、政治も万事、占領軍の了解を取らないとできないわけです。また、婦人票を選挙に組み入れたいとする占領軍の思惑もあって、施行しています。もう順調に議会も動いています。

この施行ですが、なんと、当時当然ながら有効だった明治憲法の下に施行されています。占領下での新憲法=日本国憲法で施行されたのではないんですね。

明治憲法が、十分に民主主義に対応する憲法だったということですね。

「戦前の日本は暗黒で、アメリカが日本に民主主義を持ち込んだ」という見方は、占領軍のプロパガンダそのものだと思われます。

この辺りで、目からウロコが落ちた方は、けっこう戦後教育に洗脳されていたかもしれませんね。来週は、占領政策の辺りを見てみます、お楽しみに
 <Rei>

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