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人前で話す人の教養のタネ ひとくち漢文
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人間社会の多様性を知る楽しみがあります。

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■教育のグランドデザイン(8)
【2003年8月24日】  
学力を何で測る? / 根強い相対評価法 / 差を喜べるか 
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教育コラムも8回目です。
先週は、第二次世界大戦を別な切り口から見てみました。
今回は、学力の評価方法をどう見るかについてです。


■学力を何で測る?

日本の公教育では現在、偏差値教育が非人間的だと批判されて廃止され、小学校では絶対評価法を採っています。

平等な生命を持った人間だという面が強調されて、他の子どもと比較することが、非常に嫌われています。

一部では、運動会で1等、2等の順位をつけるのもおかしい、と、子どもが手をつないでゴールする例がニュース報道されたりします。

これを考えてみたいと思います。

子どもは、日々に生長し、学力も伸びていきます。

この「伸び=生長」を良きものとするから、「教育」が成り立つ面があります。

教育によって学力が伸びていくのは、良いことですし、その伸びを測ることは嬉しいことですし、今後の対策も取れるようになります。

しかも、各人の学力の伸びはそれぞれに違い、差が出るのは事実です。

家庭環境も違い、親の考え方もまちまちで、当然職業も違います。

こういった子どもの生長を、体格やスポーツで測っても、芸術的な能力で測っても、クラブ活動で測っても、親の収入や血縁で測っても不公平な感じがします。

やはり、

生長の度合いを測る物差しは、どの子どもにも当てはまる「基礎学力がどれだけ身に付いているか」で見るのが一番良いように思えるのですが..

「基礎学力」の上に、学校選択や、職業選択があり、才能の開花があり、家庭を運営して次世代の子どもを教育していく、といった人生が展開しますので、

どのような基礎学力を身に付けるかは、人生を大きく左右する土台そのものだからです。

ですから、「教育」の効用を積極的に認めて、学力の伸びを測って、次の対策を取って行くことは決して悪いことではないと思います。

学力向上のために、一定の競争は必要だと思います。

差がつくのが悪いと言っていたら、教育を止めていくことになります。
差をつけないというのは、安直に結果平等を求めているのだと思います。

全員が分かる教育、一人一人の努力が尊い、優劣がついたら遅れた子を傷つける、命は平等、などと、一見やさしげな言葉で語られるため、気をつける必要がありそうです。

今の絶対評価法は、学力を測る必要性は分かるが、なぜ他人との比較が必要か分からない。といったことで、採られているのかなと思われます。


■根強い相対評価法

実は、

小学校では絶対評価法なので両親には公表されないのですが、

小学校側から中学校側へ提出される個人資料には、小学校時代のクラス順位、学年順位もしっかりついているといわれます。

冷静に考えてみれば、そうでしょうね。

複数の小学校から入学してくる中学一年生数百人がいるとして、どの子がどういった学力があるのか、ないのか、具体的に分からないと、中学校のクラス編成さえ何を基準に分けたらいいのか、困難になります。

実際は、どの中学校のクラスも、成績の上位が何名、中位が何名、下位何名と、バランスのよい編成となっているはずですから、

学校側が、子どもの学力の偏差値を掴んで、学校運営に使っているのは事実だろうと思います。

相対評価法を完全に捨てることなどできない、教師現場のホンネの部分があります。

一方、家庭では、配られる小学校の成績表からは偏差値が分からないため、

子どもの学力不足の実態が両親に見えにくくなっており、これが、現在の学力不足に油を注ぐことにもつながっているようです。

また、両親側にすれば、私立中学受験を考えるには、塾や民間業者の全国模擬試験を受けて偏差値を掴まないと、受験の対策が立てにくい、といった不便さがあります。


■差を喜べるか

ここで問題になるのは、「他人との比較」、そこから出てくる「競争」をどう考えるかです。

文部科学省は、個性重視を謳っていますが、

個性を重視する、ということは、1人1人の人間の学力、才能、能力、性格、趣味などには差があるということを認めることが前提になった話です。

差があるということは、ある人はできて、ある人はそうでもない、ある人はからっきしダメ、というデコボコを認めることです。

高低の区別がつくことは、個性の始まりであって、これは差別ではないということが、もっと理解される必要がありそうです。

また、より上位を目指して「努力して学力を身につける」こと自体、良いことだとはっきりさせる必要がありそうです。

ここには、努力を正当に評価する考え方があります。

人生の基礎を学ぶ子どもには、まず、努力に応じて評価されるという公平な人生の環境を与えるのは、やはり基本だと思われます。

順位や偏差値をつけるのを否定したら、客観的に見て誰にでも分かる学力の差をどうやって測るのでしょうか。

たとえ学力での測定を止めたとしても、他の測定項目が出てくるだけのことです。

人生の基礎を学ぶ子ども時代の中心課題は、学力です。学力を公平に評価する測定方法を持たずに「個性重視」をいうなら、文部科学省も両親も逃げているのではないかという気がします。

文部科学省は学力低下などの批判も浴びて、「習熟度別学習」を打ち出しました。東京都の荒川区、品川区では学校別成績表公開が始まり、いまのところ好評のようですね。

教育の今後を考える項目として、この学力評価方法についての国民の合意が必要なようです。

来週は、教育コラムの最終回、未来社会と教育を見てみます。お楽しみに 
<Rei>

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