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一人でやれば個性、皆でやればそれはカルチャー。
人間社会の多様性を知る楽しみがあります。
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■教育のグランドデザイン(7)
【2003年8月17日】 ストップ・ザ・植民地 / ペイトリオットの時代 ⇒(1) (2) (3) (4) (5) (6) (8) (9)
先週号にいろんな感想をいただきまして、ありがとうございました。
その中から
ドレフュスさん、月明かりさん、原田さん、透水さん、xiaoboさんの
感想を「読者の意見」ページに掲載させていただきました。
皆さん、それぞれ、成人してから個人的に歴史を学び直していらっしゃるのが分かって、興味深いですー。
問題ある今の歴史の教え方から、どう離れるか、ということで。
さて、
教育コラムも7回目。
先週は、自国の歴史をどう理解して、教えるか、が問題化している現状を見てみました。
今回は特に8月ですので、歴史教育のポイントとなる第二次世界大戦を別な切り口から見てみます。
■ストップ・ザ・植民地
第二次世界大戦の世界的な歴史評価は、まだ固まっていないと思います。
「民主主義国 vs ファシズム国」の対決だったなどと見る欧米の上滑りな見方を鵜呑みにすると、スターリンのソ連が民主主義国で、日本がファシズム国になってしまいます。
「戦前の日本は民主主義がなく、暗黒の全体主義で他国を侵略した。これを米英の民主主義国がつぶした」、と、しておきたいのでしょうが、やはり、この見方は間違っていると思います。
日本が勃興した19世紀中頃の時代は、
白人種の国家がアジア、アフリカ各地域に進出し、植民地化している時代で、白人種が他の人種より進化しているという「常識」で、世界のものごとは動いていました。まさに、弱肉強食の時代です。
その、白人種優位説の理論的な根拠とされたのが、チャールズ・ダーウィンの「種の起源=1859年」を論理的に展開した進化論です。
白人種が劣等な有色人種を植民化して自国を繁栄させる、という帝国主義の国家運営の理論的な根拠に使われていました。
アジア・アフリカ地域の人々も、白人種の統治を受け入れざるをえない状況で、半分諦めかかっているような状況が続いてきました。
ですから、日本も明治以来、ずっと外交ではこの人種差別の撤廃を求めて悪戦苦闘しています。
そういう中で、
黄色人種である日本が勃興して、民主的な議会政治を自力で行い、日露戦争で白人国家であるロシアに勝ち、アジア・太平洋に勢力を広げているところで、太平洋を西進してきて中国権益を狙うアメリカとぶつかったわけです。
日露戦争当時の日本の軍事力は、ロシアの1/10だそうですから、世界も日本も誰も勝てると思っていなかった、そんな奇跡的な勝利です。8年分の軍備を使い果たして、弾薬も食料も底をつくという状況だったようです。
ですから、日本がロシアに勝ったのを知って、他の有色人種の人々は発奮したわけです。また、白人種は、日本の勃興を白人種優位を脅かす脅威にも感じたでしょう。
そして次に、アジア・太平洋の権益をかけて、日米がぶつかった、というのが第二次世界大戦だといえるかと思います。
アメリカとの戦争でも、軍事力の差は1/10だそうで、普通に考えても、10倍大きい相手に勝つのは難しい。
結局、日本は第二次世界大戦に負けますが、
植民地の人々は進化論の呪縛から醒めて、独立戦争に立ち上がり、新興国独立ラッシュが起きた、というのが世界の事実だと思います。
アジア各地は、日本の降伏後に戻ってきた白人種の旧宗主国から独立しようとして内戦状態になりますが、このとき、現地の独立軍に参加して支援した旧日本兵が一定数出ています。
日本が戦争目的のひとつに挙げていた「列強の植民に苦しむアジア同朋の開放」は、歴史の結果としてみれば、少しずれましたが実現しているのだと思います。
20世紀に日本の果たしたこの役割=人種差別に風穴を開けたことは、今後世界史の歴史的な事実として誰の目にも明らかになっていくものと思われます。
そして、この日本の敗戦から、もうひとつ別の意味が見えてきます。
それは、
日本が負けて、アジア各地の権益を手放したということは、白人国家と同じように植民地を持つ帝国主義的な国家運営の道は、閉ざされたということです。
また、列強も日本には勝ちましたが、以後、植民地を手放すことになっていきました。
こうして、世界は、ようやく「他国を植民支配してもよいとする時代」を曲がりなりにも卒業したのだと思います。
その後の世界は、政治的にも経済的にも国家間の協調関係を築く時代=あからさまな植民支配はできない時代、へとほぼ切り替わっていったわけです。(その後の冷戦体制はここでは言及しませんが)
そういった意味でみても、「第二次世界大戦と日本の敗戦」は、一時代を画した出来事だったのだと思われます。
■ペイトリオットの時代
ともに「愛国者」という意味合いですが、「ナショナリスト」と「ペイトリオット」という言葉のニュアンスの違いを、渡部昇一上智大学名誉教授が説明しています。
外国人に「あなたはペイトリオット(愛国者)ですか?」と聞くと、「あなたは正直者ですか?」と質問されているように感じるのだそうです。
正直に生きるのは、人間として当たり前すぎるほど自明のことですが、「自国を愛する」ことも、人間として当たり前のことなので、なぜそんな当然すぎることを聞くのか、といぶかしく感じるというわけです。
一方のナショナリズム、ナショナリストは、人々を情熱を持って大きく動かす力があり、時には周囲との調和を考えずに自分たちの利益を押し通す、といったことにもなりがちで、あまり良い意味で使われていないようです。
外国の人から「彼はナショナリストだよ」なんて言われたとしたら、それは褒め言葉じゃない、からご注意というわけです。
改革の時を迎えている日本の教育界にとっても、
今後求められていく教師像は、「ナショナリスト」ではなく、この「ペイトリオット」の方でしょうね。
教師も、まず人間として「ペイトリオット」であり、「学びへの限りない情熱」をもって真理を求めつつ、子どもを教え、さらに人格全体で感化していくという、姿が求められていくと思われます。
左翼系のサラリーマンじゃだめなんですね、やはり。
今後、教育改革が進み、いろんな制度、資格も出るでしょうが、
教育改革は、まず、教育に対する情熱が胸にたぎる優秀な先生が、熱く立ち上がることに尽きています。
システムがどうであれ、熱い教師が各地に出たら、何らかの教えるべきものを持った教師は子どもを感化せずにはおきませんし。
日本人を罪悪感で歪めるような歴史教育をし続けたり、そのような教科書を作ったりするのは、実は、その程度の認識力の持ち主だと、言っているわけで、
自分の言動が子どもや社会にどのような影響をもたらすか、について、無責任すぎて、少なくとも、教育事業にたずさわる資質としては見劣りがすると思われます。
来週は、学力をどう測るか、混乱する現状を見てみます。お楽しみに
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