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人前で話す人の教養のタネ ひとくち漢文 ブックス

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■教育のグランドデザイン
(5)
【2003年8月3日】
 ゴーギャンの問い / 50年間のツケ   (1) (2) (3) (4) (6) (7) (8) (9)

教育の5回目、
今回は現在進んでいる教育基本法の改正に関して
中教審=中央教育審議会が文部科学相に提出した最終答申についての話です。分かりやすいといいのですが..


■ゴーギャンの問い

フランスの印象派の画家、ゴーギャンは、ゴッホとの共同生活を解消した後、楽園を捜し求めてタヒチに渡り、終世タヒチで絵を描いて亡くなりました。

自らの楽園を求めつづけたゴーギャンですが、その遺作のタイトルに選んだ言葉は

「 われわれはどこから来たのか。
  われわれは何者か。
  われわれはどこへ行くのか。 」 というものだったそうです。

ゴーギャンもこの世界を理解しようと様々な疑問を持ちつづけ、画家としての人生をまっとうしたわけですが、この3つの問いは、ゴーギャンだけではなく人間の持つ「根源的な問い」であるといわれます。

つまり、

生きていく上でその時々の疑問は種々あるけれども、最終的には、人間が「知りたい」事柄はこの3つに集約されるということです。

古来、人間はこの答えを求めて、様々な人生を生きていると言われるほどなのです。

言われてみると確かに、この質問に対して、誰がいつ教えてくれるものでしょうか?

両親でしょうか? 学校でしょうか?

病院でしょうか? 警察でしょうか?

会社でしょうか? 友人でしょうか?

こういった人間の本質について、何の理解も見解も持たずに、実用知識のみを技術的に教えるといった教育のあり方は、そんなに質の高い教育ではないのだということが分かります。

人間の本質、そんな難しいことは分からないから、誰もが分かる範囲のことを教えるというのが、現在の学校教育でしょうが、

その結果、生きる意味や学ぶ意味が分からず、将来の夢や希望を持てない子ども、公徳心がなく犯罪に手を染める子どもなどを相当数出してしまい、社会問題化するということになりました。

今後100年の教育をどうするかを考える際には、この「人間の本質への探求」が、外せない項目として浮上してきています。

「なぜ、人を殺してはいけないの?」

この、子どもの問いに正面から答え切るには、人を殺すのは悪いことだから、あなたも殺されたらイヤでしょう、と道徳的にお茶を濁して答えても納得させられないのです。

道徳の奥にある「人間の本質が何なのか」を当の大人が知っていなければ、実は、答えられないわけです。

凶悪犯罪を犯す子どもが出てくるにつれ、「心の教育」「情緒教育」の必要性が叫ばれていますが、それは、この50年間の日本のツケが一番溜まってしまっている箇所だからだと思われます。

今年3月に中教審=中央教育審議会が文部科学相に最終答申を提出して、教育基本法の改正に向けた手順が進んでいますが、

教育の新たな基本理念として追加する項目に、「国を愛する心」「公共への参画」「宗教的情操」の大切さなど8項目が明記されています。

「国を愛する心」や「宗教的情操」など、いままで軽んじ蔑ろにしてきたものが、実は、人間と社会の健全な成長にはかかせない背骨に当るものだということがようやく、再評価されつつあるということだと思います。


■50年間のツケ

日本の戦後教育から「国を愛する心」「公共への参画」「宗教的情操」などが抜け落ちたのは、大きく2つの要因があったと思われます。

1つは、アメリカ側の思惑です。

対日復興戦略として、2度と歯向かってこないように日本人を骨抜きにしようという意図があったといわれます。

勇猛果敢に戦った日本人の優秀さを調べていくと、日本人の精神的なよりどころである民族宗教、(天皇を中心にした)神道という屋台骨を外すのがベストである、ということになったといわれます。

どの民族にも、民族や国の創世を物語る神話があり、民族宗教があります。人々は、生きる規範や民族の伝統というものを、この世の親兄弟からあの世に住まうはるかな祖先にまでつながる宗教的世界観の中で、代々培ってきています。

ですから、民族の宗教を貶め、排除するということは、その民族の拠ってたつ精神的支柱を外すということで、それは長い目で見れば、民族の解体を故意に意図したということだと思います。

アメリカは、徹底して戦前の日本を悪と断じて、戦前の神道的価値観を否定していった面があります。

2つ目は、日本側の受け止め方です。

19世紀半ばに世界に対して勃興した日本民族は、明治以来、民族宗教の神道を国家統治に組み込み、国家神道として使いました。日清・日露・第一次大戦の3つの戦争に勝って高揚したのですが、その行き過ぎは、4回目に戦争に負けたことで噴出しました。

つまり、

人々はカミカゼが吹かなかったことで、神道の神々を尊崇しなくなりました。

また、宗教自体をダメなもの、いかがわしいもの、と見る見方が主流となりました。戦前の学校教育で一律に押し付けられた国家神道に辟易したために、その反動でしょうが、公教育の現場で宗教教育をすることも禁止して行きました。

そのために、今まで担っていた日本古来の価値感や伝統という宗教的情緒もないがしろにされ、子どもに「日本人として生きる誇り」を伝えないという時代が続くことになりました。

「ナマスに懲りてアツものを吹く」ことわざ通り、

戦前は神道一色に染まり、戦後は宗教否定一色になるという、日本人のこういった宗教アレルギーの態度は、どちらも極端すぎていて問題が出るのだと思われます。

また、「愛国心」というと、まだなにか、バリバリの右翼か、ある特定の主義主張に凝り固まった人のように見られがちです。が、単純に言えば「自分」と「国」との一体感をつかむことかと思います。

先日出席した教育フォーラムで、今の日本を垣間見るシーンがあり、興味深いものでした。

基調講演は「自国を愛するということ」はどういうことかというものでした。

● 自分が幸せでいるには、自分の家族が幸せでいることが必要である。自分につながりのある人々、関係している団体や組織と無関係ではいられない。

● 自分の国を愛するということは、自分を愛し、周りを愛し、そういったことを可能にしている「国」を愛するということでもある。

と、講演が終わりましたが、

「ふーん、国を愛するってそういうことなのかぁ、なるほどねぇ、そういう言い方もあるのかなぁ」と半信半疑で腕組みして聞く聴衆がほとんどでした。

「国を愛する」、そんなことは考えたこともない、誰からも習っていないのでよく分からない、というのが現在の大多数の大人の姿なのだと思います。この50年間のツケを払い教育を復興していくのは、けっこう力ワザが必要だと思われるエピソードです。

来週は、いろんな意味で話題に上がる歴史教育にも触れてみます。 <
Rei>

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