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人前で話す人の教養のタネ ひとくち漢文
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人間社会の多様性を知る楽しみがあります。

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■教育のグランドデザイン(3) 【2003年7月21日】  
にきびができたら.. / 義務教育って何だ? / 百花繚乱
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教育についての3回目です。
今回は、世のお母さん方を叱咤激励 ?? しつつ、
「教育を受ける自由」をどうしたら手にできるかを考えてみます。

■にきびができたら..

子どもの基礎教育に関しては、母親が全権を持つ家がほとんどでしょうが、学力不足が問題になるというのは、つまり、母親が本来の仕事をしていないということでしょうか?

いろいろ挙げられるでしょうが、

母親に、的確な現状把握をするために必要な正確な情報が行き渡っていないことが一番の問題だと思われます。

また、教育の現場にいないために、客観的な情勢の変化を実感しにくいという母親の特徴もあります。自分の受けたひと世代前の学校や勉強方法をベースに物事を考えがちな母親が多いのだと思います。

情報を集めるといっても、どこに何を聞けばどんなことが分かるのか、高度に複雑化した社会では分かりにくいものです。

こういった教育環境の変化を理解して積極的に情報を集めて対策を取る母親は、非常に教育感度が高く、私立を指向していきます。

ですが、だいたいが、教育環境をほとんど考えていないか、考えても対策を取らないか、考えても対策が思い浮かばないかで、ほとんどの方は手っ取り早い解決方法に流れがちです。

「塾」と言われれば、我が子も「塾」へとにかく入れようとするのでしょう。

かなり前になりますが、「にきびができたら、クレアラシル」というコマーシャルがありました。

製薬会社のプロモーションCMとしては正解かもしれませんが、

なにか、ヘンです。

にきびができたら、その「根本原因」を直さないといけませんが

それは、手っ取り早く軟膏を塗ることではなく

・不規則な生活態度を改めて、健全で規則的な生活習慣を身
 につけて健康な肉体を作ることであり、
・そのためには、適切で定期的な食事習慣とスポーツ時間を取る
 ことであり、
・さらに洗顔を励行することだったりします。
・日常生活でこうした生活習慣を身につけるには、母親が家庭を
 そのように運営していなければなりません。

どれも、1日では達成できない、長い忍耐と自制心が必要なものばかりです。

そうしてみると、今の基礎学力不足も、1つ1つ逆に辿っていくと、最終的には「母親の家庭運営力の低下と子育てへの責任感のなさ」に行き着くのかもしれませんね。

こう言い切りますと、反発する方々はいらっしゃるでしょうが、

他人がこうやってくれない、ああやってくれない、悪いのは学校だ、先生だ、塾だ、政治家だ、社会だといったところで、当の子どもの基礎学力は上がりませんし、子どもを責めても泣くか、反抗するかぐらいです。

子どもの教育に責任を取るには、

外部の状況がなんであれ、環境がどうであれ、時代がどう進むのであれ、子どもの性格や能力がどうであれ、

その状況の中で「母親としてあなたはどうするか、どうしていくのか」が問われているわけですので。

母親は教育の責任者ですから、その責任から一生逃れることはできません。こうしてみると、人生とは、母親業とは、けっこう厳しいものなのだなあと改めて思えてきますね。だからこそ母親はエライんですね。


■義務教育って何だ?

「義務教育なのだから、国は、子どもたちに必要な学力を付けさせる義務がある」

という考えに立つ方がいます。

そう考える方は、義務教育は国が施す教育なのだから、分かるまで国が責任を持って教えるべきである。民間の塾などに放課後お金を払って行かせなければならないなど、もってのほかである、と考えていきます。そして、政治が悪い、教育行政が悪い、教科書は無料配給だと言っていきます。

この「義務教育」なるものですが、

そんなに確固とした根拠があるものではありません。

この「義務教育令」は、明治5年に徴兵令の発布と同時に出されています。

ですが、その前から小学校自体は様々なカタチのものが無数に作られています。

保健所や警察、役所の出張所の機能も兼ね備えたところもあったようです。運営費は、町衆(民間の有志)が出しています。それに、校長先生の任免権も握っている小学校だったといいます。それ以前の江戸時代は、侍の子弟は藩校へ行き、他の階層の人々は民間の学識者が運営する寺子屋で、伝統的に学んできています。

こうした中で、明治新政府は、徴兵制度を考えるときになって、兵士が砲弾を数えられなくては列強との戦争に負けてしまう、といったことから入隊時の最低限の学力レベルを決めました。

兵士として最低限、身に付けておくべき学力を決め、徴兵令と同時に発布しています。

ですから、

明治時代は、学校で学ばせなくとも、同等の学力を付けさせれば良いということで、有名作家の子どもなど、公教育を受けずに個人的に超エリート教育を受ける人もいました。

祖父から豊かな漢籍の薫陶を受けたり、引退した学識者が、孫を家のふんだんな蔵書でじっくり育てるなどということもけっこうあったようです。

両親には子どもを教育する責任はありましたが、何も公教育でなければならない義務はありませんでした。

ですから、私立学校を設立する自由もたっぷりあり、いろんな人が独自の学習内容で、いろんな人々を対象に、いろんな学習内容で授業をしていたわけです。

この教育制度が硬直していったのは、

昭和16年の、戦争がひどくなっていきつつあった頃だとおっしゃっているのは、渡部昇一名誉教授です。

当時、同盟を組んでいたナチスドイツの制度に倣い、私学の新設を禁止して、一律の国民学校制度にしてしまいました。上から網を掛けると上位下達も簡単です。

当時は戦時中ですから、こうした一律化も便利だったのでしょうが、

この一律的な学校制度を戦後も残してしまいました。学校設立の基準も、いろいろ難しい条件をつけているために、戦前のように民間のやる気と情熱にまかせる学校設立と運営ができません。

こうして、戦後50年の教育の付けが溜まりに溜まっているわけです。


■百花繚乱

今、塾以外にも、フリースクール、チャータースクールなどが模索されています。

結局のところ、この動きは、

ナチスドイツの戦時下の制度の影響から脱して、明治時代のように、様々な形態の学校が必要に応じて造られていくという流れに戻りつつあるとも見ることができます。

チャータースクールなど、何もアメリカ、ヨーロッパ輸入の考え方ではなく、

すでに明治初年ごろ、日本では町衆(民間の有志)が立ち上がって、学校を運営して、自分たちでこれはと思う人物を校長に迎えて、先生を探して、子どもたちに教育をしていましたから、

日本に導入されたら、かなり上手くいくものと思われます。

今、公立学校になじめない子どもがかなり増えています。1年経つと、学年で1クラス分がそっくり退学してしまうような計算です。

こういった子どもをどうするか。

子どもの「教育を受ける自由」をもっと行使できるようにするには、

様々な学校が民間で気軽に設立され、運営され、学校を選んでいける自由が必要なのだと思われます。

そのためには、私学設立がもっと気軽にできるようになる必要がありますし、すでに機能している塾を学校と認めていく柔軟性も必要なようです。

先日、教育フォーラムのひとつを覗きましたが、

「教育特区」は、行政側ではなく、実は民間側にも問題があると政治家が発言しているのが印象的でした。

つまり、すっかりこの50年で、教育は国がしてくれるものという意識が染み付き、なかなか民間から手を挙げる声が聞かれない、というものでした。

この辺り、けっこう私たちの盲点になっているのかもしれませんね。

来週は、もうちょっと大きい目で教育をみてみようと思います、お楽しみに
  <Rei>

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