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いつもと違った視点を発見!
透明なこころでモノゴトを眺めると何が見えてくるか、お楽しみに。
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■日本人やーい! 【2005年2月21日】
津波援助報道の違い/キリスト教圏の反応
■津波援助報道の違い
スマトラ沖の大地震&津波が起こって以来、この2ヶ月間、CNNjやBBCワールドを中心に世界の報道を見ていますが、
何がさびしいと言って、彼ら欧米系のリポートする現地報道には、救助に当たる日本人グループの姿が1人として映らないことです!
ほんとに残念ですし、
各国の医療・救助クルーと現地被災国の人々が協力して働く姿がTV画面に映るたびに、目を皿のようにして日本人らしき人物を探してしまいます。
普段は、まず日本の地上波TVは見ない筆者ですが、
あまり日本人が映らないので、チャンネルを変えて日本のTVニュースではどうなっているのか、と改めて日本語のニュース番組を見ると、
自衛隊が現地の海岸で活動している様子が流れたりします。医療活動する自衛官が映ったりするので、ようやく、活動はしているのだなあ、と納得するのですが
いかにも後手に回っている日本の対応であり、今では日本の各方面からも後手ぶりを指摘されてきており、しかもあくまで、「現行法に縛られ手際の悪い自衛隊」「津波外交」といった面から指摘されているようです。
何か、釈然としません。
筆者には、この、欧米各国報道と国内の報道との温度差については、もっと深い見解の違いが出ているように思えるわけです。
■キリスト教圏の反応
CNNでは、被災しながら助かったアメリカ人旅行者カップルが、すぐに救助活動に自主的に参加する様子を映していました。
携帯を駆使して本国の家族・友人・知人らに無事を知らせ、前代未聞の大災害であって多く人びとの善意が必要なことを伝え、衣服や金銭のカンパを募り、現地の銀行に送金してもらい、自主的に活動していくのです。
「全て失ったが、私たちは助かった! 個人的な救援なので小額ですが、やらずにおれないんです。未曾有の災害だ。本国の友人たちも周囲の人に話してカンパして送金してくれている。我々はもう2週間ぐらいここにいて救援を手伝う予定だ」とインタビューに応じていました。
そして、自発的に集り、救援センターを立ち上げ、運営して、不明者の写真を提供してもらい、それを紙に貼り付けるんだと、立ち去っていきました。
ごく普通の旅行カップルですが、被災者として振舞う、といった風ではありません。
キリスト教圏の人びとの根底にある、博愛の精神がこの大規模な災害で人種や国家の違いを超えて如何なく発揮されていると思われます。
これが、キリスト教圏の最大の特徴ですし、こうした災害では如何なく隣人愛が発揮され、1人1人の自由意志での様々な言動となって現れるというところに、最大の強さがあるように思います。
ですから、
アメリカの国としての援助額はそんなに多くないのですが、あとは、国民1人1人に自発的なカンパを呼びかけ、そのトップには大統領経験者のパパ・ブッシュとクリントン氏の2人を当て、圧倒的な民間の救援金額を捻り出しています。
富裕層は相当額を出し、他の人々はそれぞれの経済状態に応じた金額を出し、目標額も軽く突破しているという具合です。
CNNでも、このスマトラ沖大地震の救援金をどんな気持ちで出したかについて、複数の一般人の感想を紹介していました。
貯金箱を割ってカンパした子どもの声や、精一杯の経済状態で数ドルをカンパした老女の声等等..。
こうしたアメリカ民間=アメリカの一般人の善意のカンパが瞬く間に集ったことについて、ブッシュ大統領はアメリカ人の良心を誇りに思う、とのコメントを出すという具合です。
一方、被災現地では
現地被災国の政府関係者が呆然としている間に、段取りよく、ヘリを飛ばし、道路も寸断され孤立した被災者に救援物資を空からバンバン落としていきます。
被災人数と物資量を計算しているわけではないので、物資が1つだと、ワッと群がる被災者たちは殺気立っており、さながら、欲深地獄絵図です。
荒っぽいといえば荒っぽく、雑といえば雑なのでですが、応急処置のそのスピード感はさすがです。
分配に当たるアメリカ人兵士はロジスティック専門要員ではなく、普段は戦闘要員ですから、
こうした物資運搬と配給で直接的な人助けをする任務はずっと続けたい、とCNNのインタビューに兵士が口々に答えていました。
ことほど左様に、
一旦「コト」が起これば、それぞれの立場で一致団結するキリスト教圏ならではの強みが、如何なく発揮されています。
彼らの言動の原動力となっているのが、イエスの説いた「愛」にあり、良い意味でのキリスト教圏の面目躍如といった感があります。
この「愛」の発露は、どんな時でも、何らかの具体的な行動を伴いますから、1人1人の個人の意思に委ねられており、人びとは自発的に様々に行動していき、ボランティア活動もごく自然発生的に動き出すといった具合なんでしょうね。
それも影響しているのでしょうが、バカンス先で被災したからといって援助を待つだけにはならず、「自分にできることは何か」を考え、1人1人行動していく人が多かったようなのです。
被災国現地の人々も、こうした欧米圏の博愛の精神に裏打ちされた行動に感化を受けたのでしょうか。被災したホテルオーナーの息子が、ホテルを欧米系ボランティア拠点に開放したり、各国語を話せる被災国現地の人々が、自分も被災しながら、現地入りした外国人旅行者の家族らに通訳ボランティアとして手助けしたり、といった具合です。
「日本語話します」と書いた紙切れ片手に人ごみの中に立つ現地ボランティアの姿は、日本のTVでも映りましたが、被災した現地の人々が自分の被災をさておいてボランティアしていることには触れずじまいです。
こうしたキリスト教圏の人々の思考・行動パターンからみれば、日本人の反応はどう見えているのでしょうか?
まず、活躍する個人が浮き上がってきません。具体的な人の「顔」が見えないのです。
被災各国には日本人社会もありますが、そこから被災地に人が来て何らかのボランティアに入ったといった動きはあったのでしょうか。
こうした火事場のような被災現地では、欧米系メディアの直接的な取材対象として日本人が登場してこない一因だと思われるのです。
欧米各国メディアに一向に登場しない日本の救援活動の裏には、こうした宗教・文化の違いによる誤解がハッキリ言ってあるとつくづく感じられました。
歯がゆい気がしたのは筆者だけでしょうか。
来週は、さらに、このキリスト教圏を見つめます。お楽しみに
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