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■文化背景 【2005年3月4日】
キリスト教圏理解のキーポイントは「愛」/ 禁句
■キリスト教圏理解のキーポイントは「愛」
欧米各国はじめ、キリスト教圏の人々は、モノゴトを「愛」を中心に判断するのだなあ、とつくづく思い当たったことがあります。
ほんの一例ですが、
かつて、家族が難病で手術がある、家族の側にいたいといって、試合途中かペナントレース途中でアメリカ本国へ帰ったプロ野球選手がいました。
日本に慣れられずに本国に帰ってしまった家族(奥さん)を追って、試合途中で帰国してしまった選手もいました。
日本人選手でこれをやったら、大ブーイングでしょう。
仕事のプロ意識がない、と取られますし、日本人なら家族の死に目に会えずともお客様のために仕事を貫いてこそ、さすがだなーと一目置かれるところがあります。ひと言で言うとすれば、個人の事情より「公」に殉ずることが重視されている社会と日本を言ってもいいのかもしれません。
欧米各国などキリスト教圏の社会の価値観では、「愛」が何を差し置いても1番先にきます。
大勢のお客様が待っているプロ野球選手といえども、契約を放棄することになろうとも、家族が病気なら、試合をスッポカして病院に駆けつけてしまったとしても、人間の行動としてやむなし、「リッパ」である、として社会全体がその行動を許容しているという面があります。
ですから、
アメリカなどキリスト教圏の言動を理解する際には、キリスト教の1番の特徴である「愛」を中心に眺めてみると、もっと理解できる面が多いと思われます。
そうした、文化のバックボーンにある宗教が分らない日本のスポーツ新聞では、彼らの言動は「困ったワガママ外人」とひと言で片付けて済ましてしまうということがあります。
このような、ある意味で「愛」に敏感な社会ですから、「愛」の発露であるボランティア活動も、非常に草の根レベルで様々に盛り上がる社会、それがアメリカです。
何かのボランティア活動をするか、時間の取れない人はそれなりの寄付をする、というのが、常識あるよき社会人像となっています。
この「愛」は、自分が周囲の人や社会に対して何か具体的な貢献をしていくものですから、人種国家を問わずに自ら係わって行く積極的な面があります。
アメリカが世界の中心として位置して機能する現状には異論もありますが、キリスト教圏のこうした積極的な面が大いに働いていることは確かですね。
ですから、先のスマトラ沖の大地震&大津波の後でも、ボランティアの立ち上がりは早かったですし、パパ・ブッシュ氏とクリントン氏をも動員した国民に向けた募金の呼びかけにも、かなり多くの一般市民が応じたわけです。
そして目標額を軽くクリアしたとき、ブッシュ大統領は談話として、多くのアメリカ市民の自発的な募金参加を誇りに思う、とコメントを出していました。
政府も単に、国民から集めた税金を当てるというだけの救援にはしなかったわけです。
これなども、キリスト教圏の国のトップならではの言動だなあ、と感じさせられますし、キリスト教圏国家の強さの根源が現れていると思われます。
一方、
FOXテレビなどでやる海外ドラマをみても、法廷で有罪となった主人公が、地域ボランティア3000時間の奉仕活動を命ぜられたりしています。
日本でいえば、保護観察処分や執行猶予が付いた事例に当たるでしょうが、アメリカでは具体的な「愛」の実践、社会奉仕が要求されるということです。
また、
刑務所内の生活の様子を取り上げた番組もけっこうありますが、
日本に比べて非常にオープンで、フランクで、受刑者たちもあっけらかんとして出演したり、自分の犯した罪を語ったりしています。
このアメリカの刑務所の明るさはどこから来ているのだろうか、と考えると、
やはり、その根っこはキリスト教に行き着くのではないかと思われるのです。
キリスト教圏では、人類には「最後の審判の日」というものがあって、どのような人間であろうとも一切合財の言動はすべて神の裁きに合うと考えています。そこでは天国・地獄・煉獄の行き先が最終的に決まってしまうわけです。その「最後の審判」がいつ来るかは、誰にもまだ分らないにせよ、その日は必ず来ると考えています。
それまでの間に、間違いやすい人間が犯した罪を裁くのは、神ではなく同じ仲間の人間(=裁判官&陪審員)であるということですから、最終的な裁きではないわけで、気がラクな面があるのではないでしょうか。「最後の審判」が下る前の出来事ですから、これからリカバリーも更生も充分できる時間があると考えているのかもしれません。
こうした犯罪者たちの更生プログラムも、もちろん、彼らの心の中に「愛」の思いを復活させることに重点が置かれているようです。
更正プログラムには、介護犬や、セラピードッグ等の育成コースもあり、動物とのふれあいを通じて「愛」の絆を実体験し、人間としての自信を取り戻して「愛」を与え合う人間社会への復帰を果たしていく道も用意されているようです。
彼ら受刑者のインタビューでは、「周囲の人に何も与えるものがない生き方をし(犯罪を犯し)てきたけれども、そうした自分でも、この犬が介助犬になるための手助けができた。誇りに思うよ」などと言っています。
■禁句
こうしたキリスト教圏の人々とつきあうときに気を付けることがあるように思います。
彼らに、日本人が「神を信じない」と言うと、それはとてもとても大きな衝撃を与えるからです。
彼らは「神イコール愛」(同じく目には見えないが感じることができる)と考えているため、「神を信じない」というと、「愛」を否定していると捕らえます。
およそ人間として生きていて、「愛」を否定するという人間とはどんな人たちでしょうか?
少なくとも、人間としてまともな感情を持っていない、つまり、「愛」を理解しないのは人間ではない、つまりは自分は人間以下=ケダモノと同じだ、と言っているように受け取られることが多いようです。
これが、キリスト教圏の人々の心の奥にある「日本人蔑視」の根っこにあるように筆者には思われるのです。
「エコノミック・アニマル」とひところ言われましたが、神を信じないと言いつつビジネスにのめり込む日本人を見て、まさにぴったりに命名したのだと思います。
これを命名したのは、マレーシアの前首相マハティール氏ですが、彼は敬虔なイスラム教徒ですから、イスラム教徒からみても、宗教心がなくビジネス一辺倒の日本人は「商売に血道をあげるけだもの」に見えているということです。
筆者が学生の頃に訪れたインドネシアで、この禁句を口に出したとき、イスラム教徒の新しい友人は筆者の目をまじまじと覗き込みつつ、厳かに、かつ噛んで含めるようにゆっくりと、「あなたはまだ人間になっていないんだよ」と言ってきました。その声には驚きと哀れみがこもっていました。
これには、筆者のほうが目を剥いてしまいました。
筆者は、日本人が「愛」の感情を知らない、理解しないなどとはもちろん思いません。神の概念が違っているにもかかわらず、神=GODと直訳して話していますから、説明が圧倒的に足りませんし、また日本人もその辺が大雑把ですから、いきなり言われると説明できなかったりします。
旅行者として短時間の付き合いで終わるなら、出ない話でしょうが、深く付き合うには避けて通れない話題でもあります。
海外駐在で移り住んだ日本人家族が、隣人家族と仲良くなり、子どもどうしも仲よくなり親しくしていたところ、子どもどうしの話で「毎日どの神様に祈るの?」と聞かれ、日本人の子どもが答えられず、居合わせた両親の方を振り向くと、両親もそれに答えずに、場がシーンとしてしまい、隣家の子どもも帰ってしまい、その後隣家とギクシャクしたという、笑えない話もあるようですね。
スマトラ沖大地震&大津波報道でも、キリスト教圏特有の圧倒的な「愛」の実践活動という目から見れば、CNN報道クルーの目には日本の救援&援助活動は目に入らないほどの実務型に映ったのかもしれませんが、CNNjの報道に1回も日本の救援活動が報道されず(筆者が見た限りですが)、相変わらず軽く見られているようでとても残念な気持ちがしました。
キリスト教圏の各国と深く信頼しあった協調関係を築くには、今後、この宗教バックボーンの相互理解まで進む必要があると、筆者は痛感するのですが、皆さまはいかがお考えでしょうか。
来週は、さらに、このキリスト教圏との関わりを見つめます。お楽しみに <Rei>
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